596 松ヶ崎=舞鶴市字千歳(京都府)峠を越えて船があるところまで行くとは [岬めぐり]
松ヶ崎は、どういう風の吹き回しか、Yahoo! 地図、Mapion、GoogleマップなどZENRINソースのネット地図でも、もれなく表示している。さては、かねてからのでんでんむしの指摘を“真摯に重く受け止めて”改心したのかと早とちりは甘い。そうだったらまことに喜ばしいことなのだが、やはり、単なる気まぐれでたまたまそうなったに過ぎなかったらしい。その証拠には、同じ舞鶴湾内の南部に3つある岬は、いずれもちゃんと無視している。

しかし、実際の松ヶ崎は、今や舞鶴火力発電所と、その岸壁と防波堤のような構築物に囲まれて、その姿はもう岬らしく見えることはない。およそ、彼らの地図で注目されるような要素は何もないのだが…。ルールや基準がないのが気まぐれの気まぐれたる所以だから、そうなるのか。
ここも、舞鶴火力発電所の建設によって姿を変えたはずであるが、地図に岬の表記が残っているところをみると、なにがしかあるのだろうが、バスの中からでは伺いしれない。

地図表記でついでにいうと、半島の名前についても、国土地理院にも考えてもらいたい。前項の終りで、「西大浦」の地名について書いていたのだが、どうやらこの舞鶴湾北部の半島を「大浦半島」と呼んでいるようなのだ。それで「西大浦」なら話がよくわかる。ところが、地図には半島名の表記はかなり少ない。
少し休憩して折り返すバスに乗って、きた道を戻る。運転手さんは、ほかに乗客がいないときには、いろいろ話してくれた。「ジメというアワビの小さいような形をした貝が、ここにはたくさんあってねえ。岩場にくっついたのをとって、よく食べたなあ。おいしんだこれが。しかしね、瀬崎の人は大変だったんだ…」


松ヶ崎と瀬崎についての話。舞鶴に通じる唯一の道は峠によって隔てられているが、その昔、瀬崎の人はこの峠を越えて日に何度か往来しなければならなかった。というのは、瀬崎には漁港も岸壁もない。あるのは、テトラポットだけである。風と波が荒いので、船溜まりもできなかったので、船を係留してある松ヶ崎付近まで、峠を越えて歩く必要があった。瀬崎トンネルができたときの、集落の住民達の喜びようは大変なものだったというのだ。
集落と漁港が離れている例は、三陸の机の場合もそうだったが、まれにあるようだ。今では、トンネルへの道は整備され、発電所に沿っているが、それでも結構な傾斜がある。峠越えはさぞかしつらい日課だったろう。


そのときは、ほー、へー、と感心しながら聞いていたのだけれど、後でよく考えてみると、現在は松ヶ崎の一帯は、発電所ができているので、その船の係留もできなくなっているはずだという、肝心なことに気がついた。それに、今でもそんなトンネル越えた離れた場所に船があったのでは不便でしかたなかろう。

そう思って、調べてみると、やはり発電所で松ヶ崎周辺は使えなくなったので、その隣の大丹生(おおにう)に船は移したらしい。それと、瀬崎の漁業はワカメくらいで、現在ではみかん栽培など農業の方にウエイトがかかっているようだ。

ついでにわかったことは、博奕岬の名前の由来である。瀬崎の海岸の石には白いのと黒いのとがあって、これで神様がバクチをして遊んだ、という。できすぎた話だが、白い石が花崗岩、黒い石が凝灰岩で、浜の西東でちがうのだといわれれば、そうかいなと思う。今ではそれほど差がわからなかった。
火力発電所の西、1キロちょっと先には、金ヶ岬が姿を現わす。この日はお天気に恵まれず、写真もパッとしない。

▼国土地理院 「地理院地図」
35度31分20.27秒 135度20分31.52秒

北信越地方(2010/06/08 訪問)

しかし、実際の松ヶ崎は、今や舞鶴火力発電所と、その岸壁と防波堤のような構築物に囲まれて、その姿はもう岬らしく見えることはない。およそ、彼らの地図で注目されるような要素は何もないのだが…。ルールや基準がないのが気まぐれの気まぐれたる所以だから、そうなるのか。
ここも、舞鶴火力発電所の建設によって姿を変えたはずであるが、地図に岬の表記が残っているところをみると、なにがしかあるのだろうが、バスの中からでは伺いしれない。

地図表記でついでにいうと、半島の名前についても、国土地理院にも考えてもらいたい。前項の終りで、「西大浦」の地名について書いていたのだが、どうやらこの舞鶴湾北部の半島を「大浦半島」と呼んでいるようなのだ。それで「西大浦」なら話がよくわかる。ところが、地図には半島名の表記はかなり少ない。
少し休憩して折り返すバスに乗って、きた道を戻る。運転手さんは、ほかに乗客がいないときには、いろいろ話してくれた。「ジメというアワビの小さいような形をした貝が、ここにはたくさんあってねえ。岩場にくっついたのをとって、よく食べたなあ。おいしんだこれが。しかしね、瀬崎の人は大変だったんだ…」


松ヶ崎と瀬崎についての話。舞鶴に通じる唯一の道は峠によって隔てられているが、その昔、瀬崎の人はこの峠を越えて日に何度か往来しなければならなかった。というのは、瀬崎には漁港も岸壁もない。あるのは、テトラポットだけである。風と波が荒いので、船溜まりもできなかったので、船を係留してある松ヶ崎付近まで、峠を越えて歩く必要があった。瀬崎トンネルができたときの、集落の住民達の喜びようは大変なものだったというのだ。
集落と漁港が離れている例は、三陸の机の場合もそうだったが、まれにあるようだ。今では、トンネルへの道は整備され、発電所に沿っているが、それでも結構な傾斜がある。峠越えはさぞかしつらい日課だったろう。


そのときは、ほー、へー、と感心しながら聞いていたのだけれど、後でよく考えてみると、現在は松ヶ崎の一帯は、発電所ができているので、その船の係留もできなくなっているはずだという、肝心なことに気がついた。それに、今でもそんなトンネル越えた離れた場所に船があったのでは不便でしかたなかろう。

そう思って、調べてみると、やはり発電所で松ヶ崎周辺は使えなくなったので、その隣の大丹生(おおにう)に船は移したらしい。それと、瀬崎の漁業はワカメくらいで、現在ではみかん栽培など農業の方にウエイトがかかっているようだ。

ついでにわかったことは、博奕岬の名前の由来である。瀬崎の海岸の石には白いのと黒いのとがあって、これで神様がバクチをして遊んだ、という。できすぎた話だが、白い石が花崗岩、黒い石が凝灰岩で、浜の西東でちがうのだといわれれば、そうかいなと思う。今ではそれほど差がわからなかった。
火力発電所の西、1キロちょっと先には、金ヶ岬が姿を現わす。この日はお天気に恵まれず、写真もパッとしない。

▼国土地理院 「地理院地図」
35度31分20.27秒 135度20分31.52秒




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