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564 大崎=上水内郡信濃町大字野尻(長野県)野尻湖8つ目の岬は小さいけれど大崎 [岬めぐり]

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 その名は体を表わさない、小さな岬である。いや、高度もほとんどない平らなちょこっと飛び出している程度なので、これでは船からは当然わからない、岬とも言えないような岬である。では,どうしてここにだけこんな大げさな名前がついているのか、それがわからないのはいつものことである。だから、あまり気にしないことにしよう。
 この野尻湖には、つごう8つもの岬がある。内陸部の湖としてもかなりの密度であるといってよい。それは、とりもなおさず、長い間にわたって、人びとの暮らしと共にあったからなのだろう。
 いつも岬の名前などはかなり勝手にすっとばしているZENRINのデータでは、こんなちっぽけな岬はどう扱っているのだろう。ふと、そんな意地悪な気持ちになって、GoogleマップとYahoo!地図をチェックしてみる。
 どちらも大崎は表示していたが、肝心要の立が鼻が記されていないし、「ケ」でまとめてある。こういうところが、あいかわらずいかにも…なのである。
 Alps Map のデータを使っているエキサイト地図では、8つの岬名が「ヶ」と「ガ」と使いわけられて、全部きちんと表示されている。
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 湖からは、大崎は特定できないが、それとおぼしき辺りを写真に撮ると、黒姫山をバックにしたその風景が楽しめる。神山という山は、国際村のある山とは別に、その北西側にある、なだらかできれいな平たい山のことである。大崎を確認するためには、船着き場で遊覧船を降りて、神山国際村の下を湖岸に沿って東へ歩いて行がなければならない。
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 湖岸も立が鼻からしばらくは歩けるが、そこから見ても、まだ岬の形はわからない。座っている釣り人の右上辺りの木立のところがそうなのだが…。
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 道に戻って東へ歩いて行くと、前方を小学生の一団が先生に引率されて歩いている。自然観察にでも出かけるところなのだろうか。こういう自然の中にある学校でそれに包まれていつも遊んでいるはずのこどもたちにも、カリキュラムに従ってそういう授業時間があるのが、なんとなくおかしく思われる。
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 その一団が行く道と別れて、湖岸に寄り添って、足元に湖面の水が迫るような道ともいえない道を大崎に近づいて行くと、小さな水流の溝があって、そこを境に「私有地立入禁止」の立て札が立っていた。別荘が木立の間にある。大崎という岬は、まるまる私有地であるらしい。
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 いささか興ざめな気分で、もう少し東へ歩を延ばし、砂間ガ崎が間近にみえるところまでやってくると、八重桜が満開の花を重そうに湖面にさしだしていた。砂間も古い時代からの人の暮しの遺跡が発見されている場所なのだ。
 来た道を、ナウマンゾウ博物館へ戻っていると、小さな花に包まれて石碑がぽつんと立っていた。来るときには視線が違うので気がつかなかったが、それは古い木造の比較的大きな建物の前庭らしい。「私有地立入禁止」の立て札はないので、そばによってみると、それはこの湖で事故に遭って亡くなった若者を悼んだ記念碑であった。「昭和五十年八月」「光の子学園」と刻まれた石碑が、なんとなく絵になりそうなので、写真を撮っていたら、いつの間にか赤いベンガラで塗った建物から人が出てきた。
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 どうやら、不審者を咎めるためというよりも、その碑の意味がわかるかどうか、説明するような空気が感じられた。「光の子学園」は、キリスト教信者の森田さんという裁判官とお医者さんの夫妻が始めたボランティア青少年野外教育キャンプのようなもので、湖で溺れて亡くなった若者はそれを支援するためやってきていたのだという。石碑に刻まれた追悼歌は森田さんの作らしい。
         永からぬ いのちなれども黙々と 
           田作りのごと 成して往きたる
 その青年の名は、「永田 成」という。
 学園の名は聖書の中から取ったものと知れるが、なんとなく養護施設のようなものを想像して、あまり立ち入ったことを根掘り葉掘り聞く気分でもなかったし、現在はここで管理を委ねられているというその人も、写真を撮ることを承知してくれたが、必要以上のことをしゃべりたいような人でもなかった。
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 帰ってきて念のために調べてみると、「光の子学園」という名の施設は、全国各地にたくさんあった。しかし、野尻湖の光の子学園については、検索できた情報はただ一種のみで、それは江田五月参議院議長の個人ホームページのなかにある自著の一節に関連するものだけしか出てこなかった。
 昭和53年毎日新聞社刊『出発のためのメモランダム』で自分の経歴を語るなかの「第五章 復学から卒業へ」に「光の子学園」という節があり、“この時期に忘れられないのは「光の子学園」に関与したことだ。”と書き出している。
 東大の同窓生だった森田夫妻の子息と知り合い、江田議員も学生時代にその支援活動をしていたという。「最近、リーダーの一人が野尻湖で心臓マヒを起こし水死するという非常に悲しい事件があった。重大な試練であった。」と書かれているのが、この碑の主人公なのであった。
 野尻湖ではそうした野外教育活動の歴史も古いらしく、561 竜宮崎の項で書いていた「カトリック教会とYMCA」も、そうした活動に関係しているようだ。ネットに出てくる各種情報から、それが推察できる。
 つい先週も、浜名湖で中学生が一人ボートの転覆で亡くなるという事故があったばかりだが、こうした事故のたびに、すぐに責任は誰にあるかを騒ぎ立てるマスコミのおかげもあって、営利であれ、公共であれ、善意であれ、ミスがあろうがなかろうが、現場は常にむずかしい局面に立たされる。
 この悲しい事故のニュースを聞いて、すぐに思い出したのは浜名湖の岬めぐりで遭遇した激しい風のことだった。山に囲まれた野尻湖は、少なくとも初めて訪れたこの日は、静かに晴れた、穏やかな湖だった。

▼国土地理院 「地理院地図」
36度49分28.53秒 138度12分27.67秒
osakiM.jpg
dendenmushi.gif北信越地方(2010/05/22 訪問)

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タグ:地図 長野県
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