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499 大日崎=日光市中宮祠(栃木県)大日も華厳もフラクタル世界なのだ [岬めぐり]

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 「大日」とは、大日如来のことであろう。この岬に、どうしてそんな名前がつくことになったのか、誰も教えてはくれない。山の名前には、この名は結構多いといえる。
 密教の教義の頂点にあり、宇宙の真理を表す仏であると同時に、宇宙そのものを具現化し、仏格化したものとされる大日如来は、この世の一切のものの根源なのだ。
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 昔、曼荼羅(マンダラ)というものにえらく魅かれたことがある。金剛界曼荼羅にも、胎蔵界曼荼羅にも、その中心に座すのが大日如来だ。
 それからだいぶ経って、マイコンのフリーソフトでマンデルブロー集合の絵柄を描き出すというものがあったので、これをCompuServe(この頃アメリカ一、つまりは世界一のコンピュータ通信サービスだったが、今ではAOLの子会社になってしまっている)からダウンロードして遊んでいた。
 それも、曼荼羅がフラクタル構造そのものであることに、気がついたからだった。1984(昭和59)年当時、初めて登場したモノクロ9インチ画面MacintoshのCPUの性能では、テンテンテン…とドットが横にゆっくり走りながら一画面を描き出すのに何時間もかかった。
 このとき、何日もかけてA4の紙数十枚にレーザーライターでキコキコとプリントしたものを、なぜかいまだに大事に保管している。全部つなぎ合わせると、襖の6面くらいにはなる。いずれ別荘でも買ったらその壁に使おうと思ったこともあったが、別荘は買えなかった。
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 大掃除や書類整理のたびに、廃棄の危機を乗り切ってきたもので、ここまでくると、もう捨てられない。今では、マンデルブローもカラーで拡大縮小自由自在なのに、こんなものを後生大事にしまい込んでいる…。そういった一見バカなこだわりも、ある種信仰のようなものだ。
 そういえば、でんでんむしが、 “自分たちがすべてだと思い込んででいるこの世界も、実はもっとより大きな存在のホンの一部に過ぎないのではないか”という考えにとりつかれたのは、20代の初めにアーサー・C・クラークの『地球幼年期の終り』(東京創元新社=現在では『幼年期の終り』に改題されている)を読んでからだった。このSF小説は、後に『2001年宇宙の旅』という映画に発展していくタネになり、同名のノベライゼーションを派生することになる。
 あの映画のラストシーンを思い起こせば、あれもまたフラクタル世界を暗示していたことに気がつくだろう。
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 そして、それはSFなどというマイナーな世界の話ではなく、たとえば卑近な例でいえば、この紅葉だって、一枚一枚の葉っぱは他の葉のことを知らないかもしれない。だが、それは一本の枝でつながっており、さらに大きな幹でまとまっている。さらにさらに、そんな木がたくさん集って、この大日崎の紅葉を構成しているのだ。
 人間の信仰というものの不思議さもまた、いくつもの次元を超えてつながっていく、離れているようで同じあり、同じであるようでときに互いに殺し合いもいとわない諍いの元になる。それほど、深刻に異なるものである。
 “諸仏の根本の仏”といわれた大日如来が、他の諸仏とどのような折り合いをつけてきたのか、そこがまた不思議なところで、この山の上の湖に大日崎があるのも、なにかしら理由があったのだろう。
 そして、それは、ここから下流に流れ落ちていく華厳の滝とも、つながりあっていたのではないだろうか。
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 華厳の滝…。
 これも大いなる魅力がある。行くたびに見とれてしまうのだが、いつだったか、上部の岩が崩落するという事件があり、以来少しずつ目立たなくはなってはいるものの、下三分の一くらいのところに段ができてしまった。
 それはともかく、この“華厳”がまた、ひとつの花を象徴するフラクタルなのだ。
 華厳経の世界では、ひとつの大きな花(仏)が中心にある。その周囲には同じ形の少し小さな花が規則的に配置され、さらにこのなかに小さい花が並ぶという曼荼羅構造になっている。無数の花が相互に侵すことなくつながりあい、融けあって、大きなこの世という宇宙を構成している。そのひとつひとつ、それぞれの一瞬のなかにこそ、永遠がある…。
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 大日崎の南に、木立ちの小島が浮かんでいる。中禅寺湖で唯一の島、上野島である。これも水没の危機から守るためか、周囲は人為的な工作がしてある。
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 上野島を過ぎると、入江の奥に少しなだらかな林が見えてくる、ここが阿世潟で、とんがった山は社山。この尾根の阿世潟峠を越えて谷を南に下ると、そこが足尾である。近頃の教科書ではなくなっている可能性も高いが、でんでんむしの息子や娘世代の人々には、田中正造の名は記憶に残っていることだろう。
 何年か前、廃坑になった銅山の跡を見にいったことがあり、その帰りにバスで日足トンネルを抜けて清滝に出た。そして、いろは坂を上って、華厳の滝を見に行った。滝の写真は、このときのものだった(と思う)。

▼国土地理院 「地理院地図」
36度44分10.26秒 139度27分47.27秒
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dendenmushi.gif関東地方(2009/10/28 再訪)

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きた!みた!印(13)  コメント(2)  トラックバック(1) 
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コメント 2

dotenoueno-okura

今朝の江戸川土手は、北方に男体山など日光連山の青い山影が見えてござった。西の富士・丹沢や東の筑波山よりも見える機会が少ないゆえ、それだけ大気が澄んでいたのであらう。帰路には、川を北上する1000羽近い渡り鳥の大編隊を目撃いたした。
宗教嫌いでSFの面白さも判らぬ拙者でも、つらつら曼陀羅を眺めると両極に見える宗教と科学もどこかで接近しているやうに思はれる。
かつてハイセイコー・タケホープの栄光の陰に、拙者が目をかけたリクダイニチ(さういへばこの命名由来もわからんなあ)といふ馬が居ってのう──暫し瞑想──インターネット世界広しといえども、本日リクダイニチの名が出たのはここだけであらう。黒馬、以て瞑すべし。成仏されよ。アーメン。
by dotenoueno-okura (2009-11-15 12:44) 

dendenmushi

@日曜日の朝は、わたしも富士山を見ましたよ。逗子の丘の上から、白い富士山がきれいに見えました。
1000羽…ですかあ。日本野鳥の会のように数えた…? 仕事場の月島川、朝潮運河周辺にも、大群がやってきた年があったのですが、さすがに大勢が越冬するには不向きだったようで、近年は小グループがいくつか固まってきます。
そうそう、先日のニュースで、出水のナベヅルが万羽鶴に…というのがあって、懐かしく思い出されました。
漢字で書けばその馬の名は「陸大日」でしょうなあ、きっと…。
by dendenmushi (2009-11-16 05:43) 

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