500 寺ヶ崎・小寺ヶ崎=日光市中宮祠(栃木県)悠々たる哉天壤 遼々たる哉古今… [岬めぐり]
中宮祠という地名がつく範囲は広く、男体山の北側から群馬県との県境を含む、中禅寺湖の周辺をすっぽりと抱えている。二荒山神社の中宮があるところからの名前だろうが、それにしても広い。
寺ヶ崎と小寺ヶ崎という岬の名前では知られていないが、八丁出島という名で有名な出っ張りがある狸窪も、中宮祀の南端である。ここから半月峠や阿世潟峠を越えれば、同じ日光市だが足尾町になる。
八丁出島の先端が寺ヶ崎で、小寺ヶ崎はその出島の隣にちょこんと、控えている。
遊覧船は、サービスのつもりか、八丁出島の懐に大きく回り込んで入っていくので、岸のギリギリを通り、そのため、かえって出島の雰囲気がわかりにくい。
ここも、日光の観光写真としてよく使われる場所で、その紅葉も美しいのだろうが、今回は、近寄り過ぎたせいか、時期のせいか、さほどのポイントを稼いだようには思えない。
またまた、別のときにやってきて、明智平から眺めみた八丁出島の遠望・俯瞰写真を…。
手前の山とかぶってしまったが、出島の様子はよくわかる。
出島の東、砥沢という字のついた湖岸の窪地に、泰西名画にでもありそうな湖畔の別荘の風景が現われる。ここが旧イタリア大使館の別荘だったところで、記念公園になっているらしい。
箱根が、明治になって日本にやってきた外国人たちによって、そのリゾート価値を見出されたのと同じように、日光もまた、先進各国の大使館の別邸として人気の立地だった。
遊覧を終えた船は、立木観音に寄って、桟橋に戻ってきた。
浜鳥居のそばには、華厳の滝へと流れ落ちるつもりの湖水が、ゆっくりと流れ出す川があり、駐車場へ向かう途中の二荒橋を渡ったところに、日光レークサイドホテルがある。
平凡に生きてきたようでも、誰にも大きな転機という時期がある。
でんでんむしにとって、この場所はその意味で記念すべき場所であり、それは20年近くも前のことになる。病に悩み、生き方に悩み、仕事に悩む時期は2〜3年におよんだ。「巌頭之感」ほどの哲学的深遠さもなく、数々の不条理に直面してもそれが「不可解」と思い詰めるまでというのでもなかった。
そんな時期に、ひとりこの地にやってきて、レークサイドホテルに投宿し、崩落前の華厳の滝を眺め、中禅寺湖を眺めながら、考えにふけり、内省・内観の時を過ごしたことがあった。
悠々たる哉天壤
遼々たる哉古今
それを思えば、人間どんなにしても、なにがあっても、たいしたことはない。どうあっても、生きられる。
30数年も勤めた会社を辞める決心は、ここでつけられた。
▼国土地理院 「地理院地図」
36度43分28.91秒 139度28分31.92秒 36度43分17.39秒 139度28分15.55秒
関東地方(2009/10/28 再訪)
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