469 獺越鼻=玉野市宇野(岡山県)岬の実態はもうほとんどなくて名のみ残れり [岬めぐり]
玉三丁目から玉一丁目にかけて、造船所の古めかしい門や建物が迫る細い道をバスが走る。本来は、玉市街地と玉野隧道を抜ける道がバス道路なのだが、たまたま工事か何かで、玉二丁目の三井病院の前から海岸を通る。
地図上の獺越鼻の表示は、海岸からトンネルに入る手前の浄化センターの端っこについている。
これが、埋立地のコンクリート護岸の出っ張りしかないので、どうみても「岬」らしいところはどこにもない。わずかに、護岸のすぐそばには、浅瀬の岩が見え隠れしている。カワウソがいたであろう岬は、処理場の工事で完全に削られ、埋立てられてしまったものらしい。
そうなんです。玉野の岬は「犬」「蛸」ときて、今度は「獺」なんですね。これもめずらしい。
古くは「うそ・おそ・だつ」といった呼び方もあるので、ここも「かわうそこえはな」ではなく、「うそこえはな」か「おそこしはな」とか読むのだろう。
俗説には、“河童のモデル”ともされてきたニホンカワウソは、魚介類などを主食とし、昔は北海道から九州まで広く棲息していたらしい。
ところが、例によって人間の金儲けのため、毛皮を得るために乱獲されて、一時はもはや絶滅したと考えられていた。Wikipediaによると、環境省のレッドブックリストでも「絶滅」に入っていたのが「絶滅危惧」に改められたいきさつがあるが、これは“最終目撃例からまだ50年が経過していない”という理由によるものだという。
で、その“最終目撃例”だが、これが1979(昭和54)年に高知県で確認されたのが最後らしい。戦後にも、香川県から愛媛県にかけての河口付近や沿岸部に、棲息していたことが確認されていたようだ。
となると、この「獺越鼻」も、実際にカワウソがこのあたりにも実在したことに由来する命名であったのだろう、と推測される。
宇野四丁目と三丁目の間には川があり、その河口一帯がまだ海だった頃には、西は大仙山の尾根が南の海に落ち、東はこの獺越鼻が出っ張って、小さな湾をつくっていた、と想像できる。トンネルから浄化センターの南端にかけて、道路は緩い坂になっていて、付近は全体に心持ち傾斜が残っている。浄化センターの後ろの山を削ってセメントで覆ったところと、この傾斜をむりやりつなぎあわせてみると、在りし日の獺越鼻の姿もぼんやりと浮かんでくる。
カワウソがそこを越えていた時代が、いったいいつ頃のことだったのだろうか。
コンクリートの海岸では、“釣りおじさん”たちが、何人も釣り糸を垂れていた。釣り人には、大きく分けて、ふたつあるようだ。ひとつは“ハマちゃんやスーさん”などに代表されるような、魚探つきの中型の釣り船や渡船で岩場の大物を狙う人々であり、いまひとつはこうした岸壁・浜辺にひょこひょこやってきては、たまに小物を釣り上げては喜ぶ人々である。
でんでんむしも、釣りはこども頃からの遊びのひとつだが、まったく熱心ではないので、小物の雑魚釣り程度から進歩しない。それどころか、ここ何十年もやったことがない。
釣りおじさんを見ていて思い出したが、カワウソは化けるとか、人間をだまして魚を取りあげるといった民話のようなものも、各地にあったような気がする。
そう遠くない昔には、日本の空を朱鷺色に染めたというトキも、その種の保全のために今も大変な努力を続けている。水族館で人気のラッコも、カワウソの仲間であるが、ニホンカワウソの絶滅は近く、確実な情勢である。
そのうち、この岬の名は貴重な証拠事例になるかもしれんが、肝心の岬がすでにその実態をなくして、有名無実になっているのでは、これも悩ましいねえ。
34度28分59.63秒 133度56分39.03秒
中国地方(2009/08/13 訪問)
「おそごえ」と呼んでいました。
私は73歳ですが、子供の時は玉野市玉で育ちました。オソゴエは美しい浜でしたが、潮流が激しく、よく子供が溺れるので、学校からは遊泳禁止でした。
by 岬石(こうせき) (2019-08-18 19:25)
@ 岬石(こうせき)とはまた、できすぎたお名前ですね。コメントありがとうございました。
「おそごえ」ですか、なるほど。その美しい浜は埋め立てられてしまったようですが、確かに潮流は速そうな場所でしたね。
by dendenmushi (2019-08-19 09:00)