470 ナキンダ鼻=玉野市宇野(岡山県)宇高連絡船『紫雲丸』を知っていますか? [岬めぐり]
玉野市の一部に宇野があり、宇野のなかに玉野市役所があり、玉野市民病医院がある。消防署や警察署も玉野だが、税関や港湾事務所は宇野であり、港も宇野港である。JRも宇野線の終点が宇野駅。高校は玉野高校で、そのすぐそばの中学は宇野中学校。
どちらにも「野」があって、なかなかややこしいが、ここが宇高連絡船の港であった時代は、宇野は玉野より名が通っていたかも知れん。
ナキンダ鼻というのも、おもしろい名だが、こういうのは想像の手がかりもない。この岬は浄化センターの北、宇野港の南を区切る形で、トンネルのある60メートルほどの小山が海に飛び出した、きれいな岬である。
ただし、南は浄化センターに削り取られ、北は港の出入り口のために削られたか、あるいは自然に崩れたのかわからないが岩の崖の形跡がある。その先端部分は、自然のままの岩とわずかな浜の岬。ここから南に遠く、犬戻鼻・蛸崎鼻が、船の陰にならずに見える。
ナキンダ鼻を眺めるのは、宇野港を二つに分けている突堤の先端からがベストポジションになる。そこに立って右手は貨物船などが入る港のようであり、左手は広く大きく開かれた船着き場になっている。
かつては、ここと南東約20キロの高松港を結んで、宇高連絡船が往来していたわけだ。現在でも国道フェリーが運行しているというが、船の影ひとつない埠頭はがらんとしていて、生きているのか死んでいるのかわからないような寂寞感が、港をおし包んでいる。だがどっこい、死んではいなぞというように、向こう側に白い船体がゆっくりと流れていく。
記憶のなかには、重大な悲劇によって、その名が刻まれるということも少なくない。1955(昭和30)年に、濃霧の女木島付近で起きた宇高連絡船『紫雲丸』の衝突沈没事故は、前年の洞爺丸遭難に次ぐもので、当時中学生だったでんでんむしにも鮮明な記憶がある。それは、この事故で犠牲となった168名のうち、修学旅行の児童生徒が108名にのぼったということがあり、その学校のひとつが広島県豊田郡木江町の小学生25名が含まれていたことがある。
『紫雲丸』の事故は、これが5度目であったこと、そもそも船名からくる印象がよくないとか巷間でウワサを呼び、大手新聞社のカメラマンが撮った助けを求める乗客を写した写真があちこちに掲載されて物議をかもした。
そして、ひとつの事故をきっかけに、いろいろなことが変わるという事例も残したことでも、特筆されるだろう。
国鉄はこれを教訓として、連絡船での客車の輸送をやめ、航路の完全分離や船体構造の改善を促進した。
だが、これが背景となって促進されたことが、さらにふたつあげられている。
ひとつが、泳げない児童が多数あったことが犠牲を多くしたというので、学校でのプール設置と水泳を授業で教えることが、これ以降全国で広まったことである。そして、いまひとつが、三つあった本四架橋計画のうち児島・坂出ルート計画推進の機運が、この事故を契機としてにわかに高まり、瀬戸大橋の早期開通に向けての動きが勢いを増したことであった。
世の中の進歩や変化には、犠牲がないと動かない部分が大いにある。
海難審判でも事故原因は紫雲丸の航行進路の取り方や濃霧中のレーダーと目視安全確認などが争点となったが、肝心の船長が船とともに沈んだため、結局確かな原因は推定のまま結審した。
その後も、海難事故は後を断たず、最近では自衛隊のイージス艦が漁船群に突っ込むというような事件があり、そこでも見張りの問題がとりざたされている。
教訓は貴重で犠牲は尊いが、それが似たような事故を根絶することには、直接つながらないのだ。
34度29分8.16秒 133度56分51.70秒
中国地方(2009/08/13 訪問)
紫雲丸──その名と事故の記憶は拙者のハードディスクの最下層にかすかに残ってござった。宇高連絡船──異なことを申すやうだが、これにも想ひ出がござる。学生のころ(すなはち半世紀前)山陽道を貧乏旅行した折り、四国に渡ろうと乗船場に着いたのが未明。出発時刻までかなりあってのう、殺風景で閑散とした宇野駅でなすこともなく過ごした末、断念して岡山まで戻った。さうだ、あれが宇野だった。歳月の経過に加えて近ごろ認知症の気味があって記憶もおぼろだが、岡山からは随分入った場所だった。さういふ因縁もあり、以来、四国に行く機会もなく今日に至っており申す。
カワウソ(前回記事)にはエドモンの拙者、相まみえたことがござらん。連想するのはやはり向田邦子の小説でんな。それと、何かで覚えたかオノレのオリジナルか不明のフレーズ──このかわうそのかわほんとのかわうそのかわ──では御免。
by dotenoueno-okura (2009-09-15 14:26)
@若い頃の貧乏旅行の想い出は、誰にも必ずあるのですねえ。ほんとにその体験は、何十年も生き続けるのです。
若者よ、旅に出よ!
カワウソですがね、わたしはどこだったか、歩いているときに、ちらりと見たような気がしていたのです。
で、あれはどこだったか、必死になって思い出そうとしてみたけど、わからない、それで書くのはやめたのですが。
あれは、形からみて確かにカワウソだったと思うのだけど、やはりそうではなく、イタチかなにかだったのかもね…。
by dendenmushi (2009-09-17 06:02)