452 三崎=久慈市宇部町(岩手県)◎Read Me ! を読んでみて! コピペはダメだよ [岬めぐり]
三崎は、久慈市の南端に位置する岬である。大きくポコンと飛び出しているので、かなり目立つのだが、その先端は車が入ることのできる道から2キロ以上も離れている。
例によって高い山はなく、遠くからみると平らな台地が、長く伸びているように見える。
この岬へは、延々と歩いて行かないのであれば、久慈市の南にある野田村の砂浜、十府ヶ浦あたりから眺めるのがいちばんだろう。そう思ったが、北山崎から黒崎を覆う「やませ」は、まだまだ消えることなく、ここも結局は翌日に帰路で再び通ってやっとその姿を見た。
低い半島の下半分を覆う、帯のような霧が、なかなか印象的だ。
今回の計画は、レンタカーの都合もあって、宮古から久慈の間を往復するという単純なコース取りになったが、結果的にはこれが大いに幸いした。もっとも、はかに道がない陸中海岸では、それ以外のコースも考えにくいのではあるが…。
三陸鉄道北リアス線も45号線も、この三崎の大きな出っ張りを、わざわざ避けるようにして、久慈へ向かっている。
北リアス線ではこの付近はトンネルが多く、ときたま谷を渡るところでちらりと海が見える、という程度である。下安家の付近で、やっとその電車(厳密には“気動車”というべきか)の姿を捉えた。電車の方も心得ていて、たまに海が見えるところにさしかかると、ゆっくりと超徐行運転をしている。
山また山の45号線は、幹線道路の割にはレストハウスなどが少ない。普代村の第19地割と第20地割の境の谷に架かる橋の手前で、やっと昼食にありついた。実を言うと、この店の磯ラーメンを運んできたおねえさんから「やませ」という言葉を聞くまで、それに気がつかなかったのだから、呑気なものだ。
下に線路を見下ろすここから北の彼方に、三崎があるはずなのだが、ここからではとうてい見えない。店のおねえさんに海岸に降りる道を教えてもらって、45号線を離れて堀内(ほりない)の海岸に出た。
すると、そこには港の一角に公園ができていて、なんと宮沢賢治の文語詩『敗れし少年の歌へる』の一節を刻んだ詩碑が立っている。この詩は読んだことがない。というより、でんでんむしなどは賢治が好きとかいっても、その作品はホンの一部しか読んでいない。しょせんはミーハーだが、世の中には熱心な賢治ファン、賢治研究者がたくさんいる。なにしろ「宮沢賢治学会」なるものまであるらしい。
1925(大正14)年1月の賢治の三陸旅行で乗った発動機船のことを書いたものがあるが、これまでその乗船地点は“田野畑村の羅賀港”という説が主だった。それについて、熱心なひとりの研究者が、いろいろ聞き取り調査をして調べた結果、従来の説をくつがえす、“普代村の堀内港”からという可能性が最も高い、という新説を唱えたのだという。
普代村も喜んで、この碑ができることになったらしい。「濱善丸」というのは、そのとき賢治が乗った発動機船の船名なのだ。けれども、こんなことがわからないでもやもやした霧の中にあり、物議のネタになっていることが意外だった。賢治のような人にしてそうなのだ。お金もそうだけど、「記録」は大事だね。これは、でんでんむしの持論です。
石碑には、おなじみの賢治のポーズやふくろうの線画が彫ってある。あまり上手とはいえないが、これが完成後にひと悶着のタネになったらしい。
この絵には、著作権者がいた、というのだ。
ブロガーのなかには著作権にまったく無頓着な人がいて、勝手に他の印刷物などの写真や文をコピーしたものを、平気で自分のブログに貼り付けたりしているのがままある。
こんなに著作権におかまいなしな人と、そんな人が書くブログが増えていても、ブログ運営会社がそれについて注意喚起している例などは、寡聞にして見たことがない。誰も何も言わないで、それが堂々とまかり通っていくという風潮が蔓延していくことに、非常な危惧と危機感をもっている。
そこで、「でんでんむしの「著作権について」」というページをブログとは別につくり、このブログ本欄の左欄に「◎Read Me !“著作権”ってナニ?」としてそこへのリンクボタンを設け、警鐘を鳴らしている。だが、このボタンを押して、わざに読む人は、少ないらしい。警鐘というものは、意識のある人の耳には届くが、まったく意識のない人には届かないという傾向がある。
とにかく、一度の「でんでんむしの「著作権について」知るページへ。」のボタンをクリックしてみてもらいたいものだ。
たとえば、著作権法で認められている引用にもルールがあって、自分の書いたものがあくまでメインであって、それを展開するために必要な一部をほかから引用してくることはできるが、それはあくまで従でなければならない。転載や抜粋、改変利用には、もとの作者の許諾を得ることが必要だ。
でんでんむしがこんなことまでしているのは、お互いに他人の権利は尊重しなければならない、ルールは守られなければならないという思いからだ。だがしかし、なんでもかんでも権利を主張するという傾向には、反対なのだ。
先日のニュースでも、「夏目漱石」の権利を主張する子孫が現われたというのがあった。幸い、親族内でその動きを牽制するグループも出てきて、どうにか変なことにはならないですみそうだ。知的所有権の権利は、明らかにその人固有のオリジナリティのあるものに限定するべきで、あまり権利拡大を認め過ぎたり、先願主義に制度を依存して偏ると、問題が多いと思う。おかしなことだが、中国人や中国の会社が「さぬきうどん」や「鎌倉」の商標権を主張するようなのと、なんら変わらないことになってしまうのだ。
それにしても、文化庁のインターネット時代に求められる著作権への取組みは、じれったい。“農林水産業に関連する文化的景観”にまで手を出す前に、もっとやることがあるだろうと、皮肉のひとつも言いたくなる。
40度8分37.28秒 141度52分33.42秒
東北地方(06/30-07/01 訪問)
アクセスのよい岬といふのはあまりないでせうが、ここはまたちょっとのことでは行けない場所ですなあ。やませにけぶる一連の画像は目の保養になり申した。
著作権は常識で考えればやさしいが、個別のケースとなるとまことにややこしく難しい。おっしゃるやうに「野放しも困るが、その強化と過ぎたる権利の主張も弊害が大」でござる。“長嶋”の名をめぐる骨肉の争い(週刊誌の見出しから)、ミステリ小説のトリックや将棋の新手の扱い方などに、弊害と文化の進歩の両面を考えたものでござる。
ところで──仔細あって拙者が多用するExplorerでは貴殿のこのブログが型くずれしてのう、タイトル以下に記事がえんえんと続くも左側は空白。スクロールしていくとずっと下のほうにさまざまな情報が現れる。じゃによって「Reed Me!著作権」はあまり覗かないのでござる。とは申すものの、Firefox と Netscapeではそのやうなことはなく、諸情報が本来のレイアウトで並んでおるのでご懸念無用。
とまれ、カレンダーの市松模様はみごとですな。精勤ぶりに感服しおる次第。では御免。
by dotenoueno-okura (2009-07-31 08:32)
@Explorerなんか使っちゃダメだって…。とくにMacintoshユーザーではね。「多用する仔細」のほうを、多用しなくてもいいように対策したほうがいいんじゃないでしょうか。Firefoxだけで、いいんじゃないですか。
よくテレビで、ブログやメールの画面を、拡大して映すことがあるじゃないですかあ。あのとき、ギザギザ点々のきたない文字を見て、オレのブログもこんな汚い文字で見られているのか、と思うと、ガッカリします。こんなんじゃ、誰も読む気しないだろってね。
いやあ、市松模様は7月は1日が、まだこの三陸海岸訪問中だったので、完成しなかった。8月も一週間くらいお休みする予定なので、パーフェクト市松模様は、滅多にできないです。
この低くうすらという霧が、なかなか幽玄でしょう?
by dendenmushi (2009-07-31 09:01)