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410 番所の崎=西牟婁郡白浜町(和歌山県)田辺から白浜へ湾の向うを眺めてみれば… [岬めぐり]

 「南紀・白浜」は、“関西における熱海”のような存在だった、といっていいのだろうか。その風景とは、もっぱら観光写真の白浜…あの穴の開いた島の写真で馴染んでいたが、行ったことも泊まったこともない。だが、そのさらに先の椿温泉には、一度だけ泊まったことがある。
 白浜は、ある程度時間をかけて、ゆっくり歩いてみなければならない。これも、ここでは次の紀州の岬めぐりへのつなぎとして、いちおう備忘項目として触れておこう。
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 その白浜の北側の端っこが、田辺の海岸を歩いていれば、田辺湾をはさんでどこからでも見えている。4キロほども離れたその先端は、番所の崎という岬になっているはずで、その先に見えている島は塔島である。
 これは、神谷崎からでも扇ヶ浜からでも洲崎からでも天神崎からでも、視野に入ってくる。
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 細長く延びた陸地の左手半分弱が田辺市で、右手は突端まですべて白浜町になる。仏岩の鼻からまっすぐ、“残され島”…いや途中島の向うには神楽島、そしてそのさらに先には神島(かしま)があり、その向うの陸地の出っ張りが小谷ノ鼻という岬で、そこには鳥ノ巣半島という名もある。
 それも南方熊楠らの努力のおかげなのだろうが、神島は天然記念物の島で、軍艦に乗って行幸中の昭和天皇に、晩年の熊楠が案内し御前講義をした場所でもあった。すでに奇人・変人で名が通っていた熊楠は、当時“現人神”であった天皇に献上するものは桐の箱に入れて差し出すべきところ、粘菌標本をキャラメルが入っていた箱に入れて差し上げた、という有名なエピソードが残されている。
 昭和天皇にとっても、そのときのことは強く長く印象に残ったらしく、33年ぶりの和歌山再訪に際し、その思い出を歌に詠まれた。天皇が一民間人のことを歌に詠むことなど前代未聞、世が世ならば驚天動地のことであったろう。
 いずれにしても、その神島もこれだけ遠いと、しかも水平に見ただけでは、島の重なりも識別できない
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 明治新政府は、西欧化・近代化を軸に国づくりを進める過程では、いくつか誤りを犯した。その代表的なものが排仏毀釈であり、神社合祀であった。もっぱら無位無官の熊楠が、その国策に楯突いて誤りを糾そうとしたのが神社合祀反対運動で、間に合わなかったのが排仏毀釈だったといってよいだろうか。
 国家神道の権威確立のために、無数にあった神社を一村一社にまとめろという強引で乱暴な政策は、『古事記』『日本書紀』の編纂に当たって、各地に伝えられていた伝承をすべて取り上げて抹殺したというのに似ている。
 当時、政府側のなかにいた柳田國男も、「生態系」という言葉を日本で初めて使った(?)熊楠の反対運動には共鳴し、とうとう10年後には合祀は中止された。
 ただ、すでに合祀されてしまったものは数多く、これで鎮守の森の多くが消えた。熊野古道が世界遺産として残ることになったのも、彼のおかげだったといえるのかも知れないが、全国あちこちの集落に、今も残る“御霊社”、“五霊神社”といった社も、神社合祀の傷跡ということになるのだろう。
 白浜の番所の崎近くには、南方熊楠記念館もあり、そこに昭和天皇の歌碑もあるらしい。だが、彼が実際に住んでいたのは田辺市で、中屋敷町のその家には別に南方熊楠顕彰館というのもできている。
 せっかくここまできたからには、ぜひにも寄っておきたい。「スーパーくろしお」の発車時間までの間に、そこもちょっとだけでものぞいておくことにした。

▼国土地理院 「地理院地図」
33度41分36.00秒 135度20分8.69秒
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dendenmushi.gif近畿地方(2009/01/25 訪問)

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タグ:和歌山県
きた!みた!印(10)  コメント(6)  トラックバック(2) 
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きた!みた!印 10

コメント 6

てつ

はじめまして。
「熊野古道」でブログ検索してこちらにたどり着きました。

岬の充実ぶりがすごいですね。圧巻です。

南方熊楠のファンサイトを運営しております。よろしかったらご訪問くださいませ。

by てつ (2009-04-28 23:02) 

dendenmushi

@てつさん、ありがとうございます。南方熊楠のファンサイトですか。それもすばらしいですねえ。
 ほほう「熊野古道」の検索からこられたということは、中身が全然期待しておられたものと、違っていたかも知れませんね。
 でも、熊楠つながりがみつかって、よかった!
 今日の「番外」に書きましたが、熊楠が広島の山へ行った、という事実は、やはりありませんよね?
 もし、関連情報をお持ちでしたら、またお教えいただければありがたいです。
by dendenmushi (2009-04-30 06:11) 

てつ

熊楠が広島の山に行ったという話。
聞いたことがありませんねえ。
どうなんでしょう。

ところで話は変わりますが、私は熊野サイトも運営しており、そちらの熊野旅行記というページから貴ブログにリンクを張らせていただきました。

http://www.mikumano.net/ryokouki/index.html

もし不都合な点などございましたら、お知らせいただければ訂正いたしますのでよろしくお願いいたします。 
by てつ (2009-04-30 18:55) 

dendenmushi

@おおっ! 藤原定家と並んでいるなんて! てつさん、リンクありがとうございます。
 「み熊野ネット」は、コメントいただいてからすぐ関連がというか、大元がこちらであると気がつきました。
 熊野は盛り上がっているでしょうね。
 でんでんむしが皮肉に書いた「中高年がわんさとやってきてコケをはがしまくっている」というのは、新聞記事か何かで読んだ記憶なのですが、多少は制限されたり、保護されるようになっているのでしょうね。
 そうでなくては、悲しい。那智の滝はもう一度行きたいです。
by dendenmushi (2009-05-02 05:49) 

てつ

そうです。大元は「み熊野ねっと」です。
ぜひまた熊野へいらしてください。

道は、人が歩くことによって維持されていくものなので、苔がはげるのも仕方のないことだと思います。

人が歩かなくなった道は、消えてしまいますので。
by てつ (2009-05-03 22:43) 

dendenmushi

@なるほど、そういう見方もあるのですね。
 「人が歩かなくなった道は、消えてしまう」…うーむ。
 そう考えるとなかなか含蓄があります。
 熊野古道も、考えてみれば、そうして昔から人が歩いてきたからこそ、「古道」として、今に残って伝えられている、ということですもんね。
by dendenmushi (2009-05-04 07:00) 

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