380 豊国崎=泉南郡岬町多奈川谷川(大阪府)西川と東川引っ張り込んで東川の勝ち [岬めぐり]
「多奈川谷川」という川が重なった地名に、発電所も豊国崎もある。ところが、そもそも“多奈川”という川も“谷川”という川も流れてはいないのが、なんとなく納得がいかない。もちろん「川」のつく地名で川がないところはたくさんあるはずではあるが…。
この字名のついた範囲は広く、西と南は和歌山県との県境の山並みになっている。つまり、この地域こそが、大阪府の最南西端か…と思いきや、もうひとつ先に、別の字名の集落があった。
昔のお相撲さんのような名前の豊国崎は、東川という川の河口と港の先にある。そう大きな川ではないが、この東川、西の谷から流れてきた西川を町の真ん中で吸収している。大和川から紀ノ川までの間にあたるこの付近には、大きな川がないのだ。溜め池のような池が多いのも、そのためだろうか。
豊国崎の先端、遙か彼方には淡路島がぼんやりとその姿を現わし、洲本の町らしい建物が見える。と思ったのもつかの間で、前日の雨の名残をともなう動きの速い雲が覆ってしまう。
西川と東川が、一本になって海に注ぐ西の河口の先に、豊国崎はある。その手前に岩壁で囲った港があり、たくさんのカモメが舞っていた。この岬も、観音崎と同じように、丸い崖のある岬であるが、発電所の中の観音崎は山が大部分なくなっているようだが、ここには山が残っている。
東側には、ドックだったのかというような入江があり、その山の向う側が発電所になる。川と入江に挟まれた先端には、なにかの試験場のような建物があり、海に突き出た高い岩壁の内側では、筏の上に人が集ってなにか作業をしていた。
河口に固まっていたカモメの群れが、またいっせいに飛び立ち舞い上がって、ひとしきり飛んだあと、また固まって海に降りた。こういう鳥の一斉集団行動というのも、誰かリーダーがいて、指示を出しているのだろう。
でんでんむしの仕事場の前には、隅田川につながる運河があって、そこには数グループの水鳥も渡ってくる。何年か前には、運河が鳥で埋め尽くされるほどの大群が渡ってきたが、翌年にはそれはこなかった。きっと、充分なエサがなかったので、そこへ誘導してきたあの大群のリーダーは、越冬地の選択を誤った責任を追及されたに違いない、とときどき思い出す。この冬は、そういえば渡りが少なかった。
カモメを見ていても切りがないので、東川を戻って集落の中を西川に沿って西に向かい、川と別れて峠道を行く。中ノ峠という低い峠の辺りにも、池がいくつもあって、道のそばにはお城のような豪邸があり、その向かいにはなにやら立派過ぎる神社がある。
「信ずるものは救われる」というが、その信ずるものの正体を、きちんと究明できないと、救われるものも救われない。
でんでんむしは、試験とかテストとかが大嫌いなので、“漢字検定”などというものに人々が群がる心理というものが、どうもわからない。そもそもいったい、どういう資格と理由があって、あんなものが野放しになっていて、マスコミが宣伝の片棒を担ぐのか、それが不思議であった。
どうせ、誰かの金もうけの道具になっているという結論は、簡単に見抜けるはずなのだが…。“円天”などというのもそうで、それがわからない、考えようとしない人が多いのにも驚かされる。
それにしても、ありがたそうな神社を過ぎると、峠は下りかかり、これまたありがたそうなホテルらしい屋根が見えてきた。
34度19分20.78秒 135度6分57.68秒
近畿地方(2009/01/23 訪問)
露払いは神社、太刀持ちは岬、発電所は横綱という景観ですな。
豊国というと、まず家康が因縁をつけて豊臣滅亡につながったあの鐘の話を思い出します。それとたしかに「昔のお相撲さん」のひびきがあるから照国とか連想する。それから羽黒山・千代の山・吉葉山……あの頃は“山”や“川”が多かった。それが栃若以降“錦”や“花”、さらに鵬・鳳・翔・貴など、何やら由緒ありげで思い入れたっぷりの名前の流行とあいなった。子どもの名付け事情に似てますな。
率爾ながら拙者、“山”や“川”“海”などが減ったのは環境汚染によるイメージダウンが主因と愚考する次第。では御免。
by knaito57 (2009-02-19 09:30)
@お相撲さんの名前から、“山”や“川”“海”などが減ったのは、こどもの名前から「子」や「郎」が減ったのと、同じなのかも知れんですなぁ。確かに。
しかし、ほんとにこの頃の親は、凝った名前をつけますなあ。まったく読めんような当て字というか…。漱石先生も顔負けですがな。
by dendenmushi (2009-02-21 07:59)