318 カマヤ鼻・カイモチ鼻=鳳珠郡穴水町字緑ケ丘・字新崎(石川県)のと鉄道の車窓から(その1) [岬めぐり]
昔は穴水から先、北へ行く鉄道路線は二手に分かれていた。北東方向に海岸に沿って珠洲市へ行く線と、北へ向かって輪島まで行く線とに…。どちらもなくなってしまった理由としては、利用者の減少ということがあげられていて、それは日本中どこでも、電車でもバスでも同じことである。
車が普及して、みんな自分のクルマでコロコロとどこへでも行くので、公共交通機関が不要になったのだという。それがために、能登空港ができても、空港へ電車を延伸させるのではなく、電車の路線自体をこのさい廃止してしまえ、それが合理的な結論だ、ということになってしまう。
なるほど、一見もっともな話のようだが、それは「社会の進歩」とはいえないような気がする。
輪島駅のホームには、駅名表示板に「次はハバロフスク」と書いてあったのを思い出していた。トンネルに「いろは記号」をつけていたのもそうだし、昔からこの七尾線には洒落者がいたらしい。その伝統は、いまも受け継がれていて、駅名にはそれぞれの売りを表わした「サブタイトル」がついている。
のと鉄道の車窓から見える岬は、そう多くはない。
穴水の駅を出た七尾行きの電車は、ちょっとだけ穴水港を覗くと、すぐ山の中に入ってしまう。そして、次に海岸に近づいたとき、見えてくるのがカマヤ鼻とカイモチ鼻である。
イナヘズミ鼻や新崎鼻のある小さな半島の南側の海岸線に沿って、細長く伸びる集落がある。これが志ヶ浦で、その先端部分がカマヤ鼻。そこから影になって見えない入江を挟んで、遠くに見える新崎の集落の先端がカイモチ鼻。
どちらも、わざわざ海辺に自然発生的にできたような集落は、波静かな七尾湾での漁労生活が盛んに豊かに行なわれていたことを示すものでもあろう。
そういえば、前にきたときには電車の窓からでもいくつもの“ボラ待ちやぐら”が、海面に立っていたものだが、今では電車の窓から見えるのはひとつだけ。それも観光用に残してあるもので、実用ではない。
水上にやぐらを組んで網を仕掛け、その上で回遊してくる魚を待って捕獲するという、極めて原始的でのんびりした漁法は、この静かな海にはこのうえなくふさわしいもののように思える。やぐらの沖遠くには、平べったく延びた岬が見えている。ここが、七尾北湾の入口を示すカガタ鼻である。
能登鹿島駅の少し穴水寄りには、鹿島という地名の由来である神社が、なかなかのロケーションに鎮座している。このほか、地図で見ると車窓からでは目にかからない鳥居マークが、いくつも点在していて、それもまた豊かな海に感謝し、祈りを捧げてきた人々の素朴な暮らしがあったことを示しているように思える。
しかし、そういう暮らしも若い人が継ぐことはなく、“市場競争原理”だけを金科玉条とする風潮が蔓延するなかで、やがて電車の線路やボラ待ちやぐらと同じように、淘汰されていく。近頃どこでも叫ばれている“地方の復権”も“地域の活性化”も、お題目を唱えるならその根本から考えてみなければなるまい。
そして、それはまたぞろ国庫から税金を引っ張りだし、道路を造り橋を架けハコモノをつくるという、保守党政権が何十年も続けてきたようなことでは、決してないのだろう。それを恩に着て、政治家の銅像を建てようといった発想から脱皮し、二世三世はおろか四世までもという政治の硬直を招く世襲制などはこれを無条件に断固拒否するとか、有権者自体が変わらなければ、結局なにをやってもつくっても、いくら改革を叫んでみてもダメなのだ。
▼国土地理院 「地理院地図」
37度12分1.47秒 136度54分54.58秒 37度11分57.77秒 136度55分33.67秒
北越地方(2008/09/06 訪問)
車が普及して、みんな自分のクルマでコロコロとどこへでも行くので、公共交通機関が不要になったのだという。それがために、能登空港ができても、空港へ電車を延伸させるのではなく、電車の路線自体をこのさい廃止してしまえ、それが合理的な結論だ、ということになってしまう。
なるほど、一見もっともな話のようだが、それは「社会の進歩」とはいえないような気がする。
輪島駅のホームには、駅名表示板に「次はハバロフスク」と書いてあったのを思い出していた。トンネルに「いろは記号」をつけていたのもそうだし、昔からこの七尾線には洒落者がいたらしい。その伝統は、いまも受け継がれていて、駅名にはそれぞれの売りを表わした「サブタイトル」がついている。
のと鉄道の車窓から見える岬は、そう多くはない。
穴水の駅を出た七尾行きの電車は、ちょっとだけ穴水港を覗くと、すぐ山の中に入ってしまう。そして、次に海岸に近づいたとき、見えてくるのがカマヤ鼻とカイモチ鼻である。
イナヘズミ鼻や新崎鼻のある小さな半島の南側の海岸線に沿って、細長く伸びる集落がある。これが志ヶ浦で、その先端部分がカマヤ鼻。そこから影になって見えない入江を挟んで、遠くに見える新崎の集落の先端がカイモチ鼻。
どちらも、わざわざ海辺に自然発生的にできたような集落は、波静かな七尾湾での漁労生活が盛んに豊かに行なわれていたことを示すものでもあろう。
そういえば、前にきたときには電車の窓からでもいくつもの“ボラ待ちやぐら”が、海面に立っていたものだが、今では電車の窓から見えるのはひとつだけ。それも観光用に残してあるもので、実用ではない。
水上にやぐらを組んで網を仕掛け、その上で回遊してくる魚を待って捕獲するという、極めて原始的でのんびりした漁法は、この静かな海にはこのうえなくふさわしいもののように思える。やぐらの沖遠くには、平べったく延びた岬が見えている。ここが、七尾北湾の入口を示すカガタ鼻である。
能登鹿島駅の少し穴水寄りには、鹿島という地名の由来である神社が、なかなかのロケーションに鎮座している。このほか、地図で見ると車窓からでは目にかからない鳥居マークが、いくつも点在していて、それもまた豊かな海に感謝し、祈りを捧げてきた人々の素朴な暮らしがあったことを示しているように思える。
しかし、そういう暮らしも若い人が継ぐことはなく、“市場競争原理”だけを金科玉条とする風潮が蔓延するなかで、やがて電車の線路やボラ待ちやぐらと同じように、淘汰されていく。近頃どこでも叫ばれている“地方の復権”も“地域の活性化”も、お題目を唱えるならその根本から考えてみなければなるまい。
そして、それはまたぞろ国庫から税金を引っ張りだし、道路を造り橋を架けハコモノをつくるという、保守党政権が何十年も続けてきたようなことでは、決してないのだろう。それを恩に着て、政治家の銅像を建てようといった発想から脱皮し、二世三世はおろか四世までもという政治の硬直を招く世襲制などはこれを無条件に断固拒否するとか、有権者自体が変わらなければ、結局なにをやってもつくっても、いくら改革を叫んでみてもダメなのだ。
▼国土地理院 「地理院地図」
37度12分1.47秒 136度54分54.58秒 37度11分57.77秒 136度55分33.67秒
北越地方(2008/09/06 訪問)
タグ:石川県
能登半島はいいところですねえ。毎度すばらしい岬風景を拝見していますが、この車窓写真には「しみじみと懐かしい」気分にさせるものがある。七尾、輪島、珠洲、穴水……それぞれの地名が「遠い記憶を揺り起こす」よう。羽咋は松本清張だったかな。
地理的には辺鄙で、むしろ外地に近い感覚。だからカマヤ、カイモチなどとカタカナ表記されても違和感がなく、「次はハバロフスク」といわれれば、そうかと思う。
さうか、七尾の海はおだやかなのか。人情風俗も親しめさうだな──勝手に描いていた「きびしい生活イメージ」が変わって、能登半島ファンになりそうです。
by knaito57 (2008-09-29 07:36)
@いいところですよ〜。ただ、能登にもいろいろな顔があって、日本海側はまた違った面があります。ここらは湾内で、能登半島の内側の付け根付近だけですけどね。それと、やはり冬は厳しいでしょうね。
羽咋は千里浜が有名で、岬はひとつしかないのですが、ここへも昔行ったことがあります。
いずれにしても能登半島は大きいので、何回にも分けて行かなければなりません。
by dendenmushi (2008-09-30 07:46)
そうか、やっぱり自然はきびしいんでしょうね。七尾の海はおだやかというので意外だったけれど、内湾だからかあ。「温室育ち」であの辺は外国のように思っている拙者などは、ただあこがれるだけでちょっとねえ。拉致とかもあるしい……こういう傍観者・観光客的姿勢はいかん、と自戒するのですが。
by knaito57 (2008-10-01 11:03)