306 狐崎=福山市鞆町後地(広島県)阿伏兎の東に連なっている山塊が張り出していて… [岬めぐり]
阿伏兎観音がある出っ張りは、それと名はついていないがなかなか立派な堂々とした岬の風格を備えている。どうして、こんないかにもそれらしくて、しかも瀬戸の入口にあたる重要な位置にあって目立っているのに、岬の名がないのだろうと、不思議だった。
それで、とくに一項を設けて、022 阿伏兎=鞆として書いていた。
この阿伏兎の尾根の東に続くのが、狐崎である。動物の名前の岬はそう多くはないと書いたことがあるが、狐はどうやら別格のようなのである。
この狐崎も、小さいながら険しい崖と山が、人の侵入を妨げて、今日に至っている。宮前という人の領域のはずれから望む範囲では、そう見えるが、地図では果樹の記号もあり、この岬の向こう側には室浜という小さな集落と海水浴場の浜があるらしい。
宮前から東には長い防波堤が突き出ており、沖の玉津島という神社が祀られた島を結んでいる。宮前とはこの神社からきた名だろう。神社といえば、鞆で多いのが神社で、見渡せるかぎりの狭いエリアでも、四つもある。だが、それよりもっと多いのはお寺である。
平町の東にも小山の上に神社があり、そこからも狐崎は望める。なにやら港湾工事のものらしいクレーンが立っているが、道路工事に負けず劣らず港湾工事も日本中至るところで盛んなようだ。
鞆の西町の石灯籠のところから見ると、灯籠の後ろにそれぞれに神社をもつ小山が見える。
昔は、鞆の浦といえば鯛網漁が盛んで、鯛の浜焼きなどという高級な名物もあったのだが、今はどうなのだろう。漁師の町らしい佇まいも、平町や焚場町あたりは濃厚で、狭い道に沿った街角のあちこちで、水揚げされたばかりの魚を、おばさんやおばあさんが手際よくさばいている光景を見かけた。それを店売りしたり、手押し車に積んで行商にも出かけたりする様子だった。
岬めぐりをしていると、ここに住んでいる人は、どんな仕事をして生業としているのだろう、と思うことがしばしばある。その答えがすぐ見えてくるところもあれば、さっぱり見えないところもある。鞆くらいの規模になると、見えるようでこれが見えない。
▼国土地理院 「地理院地図」
34度22分8.77秒 133度22分0.45秒
中国地方(2008/07/15 訪問)
それで、とくに一項を設けて、022 阿伏兎=鞆として書いていた。
この阿伏兎の尾根の東に続くのが、狐崎である。動物の名前の岬はそう多くはないと書いたことがあるが、狐はどうやら別格のようなのである。
この狐崎も、小さいながら険しい崖と山が、人の侵入を妨げて、今日に至っている。宮前という人の領域のはずれから望む範囲では、そう見えるが、地図では果樹の記号もあり、この岬の向こう側には室浜という小さな集落と海水浴場の浜があるらしい。
宮前から東には長い防波堤が突き出ており、沖の玉津島という神社が祀られた島を結んでいる。宮前とはこの神社からきた名だろう。神社といえば、鞆で多いのが神社で、見渡せるかぎりの狭いエリアでも、四つもある。だが、それよりもっと多いのはお寺である。
平町の東にも小山の上に神社があり、そこからも狐崎は望める。なにやら港湾工事のものらしいクレーンが立っているが、道路工事に負けず劣らず港湾工事も日本中至るところで盛んなようだ。
鞆の西町の石灯籠のところから見ると、灯籠の後ろにそれぞれに神社をもつ小山が見える。
昔は、鞆の浦といえば鯛網漁が盛んで、鯛の浜焼きなどという高級な名物もあったのだが、今はどうなのだろう。漁師の町らしい佇まいも、平町や焚場町あたりは濃厚で、狭い道に沿った街角のあちこちで、水揚げされたばかりの魚を、おばさんやおばあさんが手際よくさばいている光景を見かけた。それを店売りしたり、手押し車に積んで行商にも出かけたりする様子だった。
岬めぐりをしていると、ここに住んでいる人は、どんな仕事をして生業としているのだろう、と思うことがしばしばある。その答えがすぐ見えてくるところもあれば、さっぱり見えないところもある。鞆くらいの規模になると、見えるようでこれが見えない。
▼国土地理院 「地理院地図」
34度22分8.77秒 133度22分0.45秒
中国地方(2008/07/15 訪問)
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