304 赤崎=東広島市安芸津町木谷(広島県)海霧・山霧のかなた風待ちの駅も浦浦に [岬めぐり]
ここにもまた、万葉の古歌が伝え残されている。「わが故に妹嘆くらし風早の 浦の沖辺に霧たなびけり」というのは、天平の時代に新羅へ派遣された誰かの歌であり、風早というのは呉線の崖の途中にへばりついたような小さな無人駅である。安芸津には何度か降りているが、ここに降りるのは初めてだ。もちろん、歌に詠まれたのは呉線の駅ではなく、三津湾奥の西側の浦をいうのだが、瀬戸内海が航路として開け、幾多の船が往来していた頃から、ここはたくさんあった風待ちの駅の主要なひとつだった。


ここからは、向かいの西側に、長々と伸びる半島があって、その先端が赤崎という岬になる。遠くに高く見える鉄塔は、鉄塔マニアなら垂涎の的だろう。これは隣の竹原市吉名の鉄塔で、その線は島伝いに四国へ渡っている。
三津湾はこのあたりではいちばん大きな湾で、それをかかえる安芸津町は、東広島市になっている。山の中の盆地だった東広島市も、ついに海を得たのだ。
東広島市というのも「西東京市」というのと同類だが、まだこっちのほうが許せるのは、東京と違って田舎だからだろう。
昔、その田舎から東京へ出て行くには、なかなかの覚悟が必要だった。山陽本線では、八本松、西条、西高屋、入野(にゅうの)といった駅名が、今でもすらすらと出てくるし、呉線は、12時間かけて東京へ行く寝台急行「安芸」号は呉線を回っていたので、その道中でも馴染み深い。トンネルばかりを走っている山陽新幹線など、速いばかりでおもしろくもなんともない。
八本松で山のようにマッタケを採ってきて、それをおかずにぱくぱくかたづけるという今日では夢のようなことや、初めてまだ蒸気機関車が牽いていた「安芸」号に乗ったときのことなどなど、昔の思い出は霧のように湧いてくる。
そう、万葉の時代から、ここらは海霧・山霧も名物なのだ。
この日は霧もなく、遠くの赤崎まで見通せてきれいだった。
この向かいの長い半島は、そのほとんどを安芸津町木谷といい、交通不便なので遠望のみでお茶を濁すことにしたのだが、赤崎の名は、ここらの赤土に由来するものとみて間違いないだろう。その赤土は、じゃがいもの栽培に適していたので、それが名物でもあったのだが、今ではどうなのだろう。じゃがいもが名物というのは、裏返せば米が採れないということである。


だからというわけではないが、三津湾ではかきの養殖が盛んに行なわれている。静かな湾にかきいかだが浮いているのも、ならではの風景だ。
鼻繰島、ホボロ島という小さな島は、よく見ないと目にもかからないが、唐船島やそのずっと先の臼島までが、折り重なっている。


風早から南東には龍王島、藍之島が浮かび、安芸津の町のほうには戦前からある造船所が目立っている。この湾のおだやかな海面を眺めていると、足を踏み入れて赤崎まで歩いて行けそうな、そんな気がする。


風早の駅で電車を待っていると、次々に高校生が集ってきて、ネコ以外誰もいなかった平和な駅が、たちまち騒々しくなってきた。呉線も、広島=広の通勤電車区間を別にすれば、完全なローカル線なのだ。電車も当然ワンマンだが、やってきたのはワンウーマン電車だった。

▼国土地理院 「地理院地図」
34度17分32.82秒 132度50分49.21秒

中国地方(2008/07/14 訪問)


ここからは、向かいの西側に、長々と伸びる半島があって、その先端が赤崎という岬になる。遠くに高く見える鉄塔は、鉄塔マニアなら垂涎の的だろう。これは隣の竹原市吉名の鉄塔で、その線は島伝いに四国へ渡っている。
三津湾はこのあたりではいちばん大きな湾で、それをかかえる安芸津町は、東広島市になっている。山の中の盆地だった東広島市も、ついに海を得たのだ。
東広島市というのも「西東京市」というのと同類だが、まだこっちのほうが許せるのは、東京と違って田舎だからだろう。
昔、その田舎から東京へ出て行くには、なかなかの覚悟が必要だった。山陽本線では、八本松、西条、西高屋、入野(にゅうの)といった駅名が、今でもすらすらと出てくるし、呉線は、12時間かけて東京へ行く寝台急行「安芸」号は呉線を回っていたので、その道中でも馴染み深い。トンネルばかりを走っている山陽新幹線など、速いばかりでおもしろくもなんともない。
八本松で山のようにマッタケを採ってきて、それをおかずにぱくぱくかたづけるという今日では夢のようなことや、初めてまだ蒸気機関車が牽いていた「安芸」号に乗ったときのことなどなど、昔の思い出は霧のように湧いてくる。
そう、万葉の時代から、ここらは海霧・山霧も名物なのだ。
この日は霧もなく、遠くの赤崎まで見通せてきれいだった。
この向かいの長い半島は、そのほとんどを安芸津町木谷といい、交通不便なので遠望のみでお茶を濁すことにしたのだが、赤崎の名は、ここらの赤土に由来するものとみて間違いないだろう。その赤土は、じゃがいもの栽培に適していたので、それが名物でもあったのだが、今ではどうなのだろう。じゃがいもが名物というのは、裏返せば米が採れないということである。


だからというわけではないが、三津湾ではかきの養殖が盛んに行なわれている。静かな湾にかきいかだが浮いているのも、ならではの風景だ。
鼻繰島、ホボロ島という小さな島は、よく見ないと目にもかからないが、唐船島やそのずっと先の臼島までが、折り重なっている。


風早から南東には龍王島、藍之島が浮かび、安芸津の町のほうには戦前からある造船所が目立っている。この湾のおだやかな海面を眺めていると、足を踏み入れて赤崎まで歩いて行けそうな、そんな気がする。


風早の駅で電車を待っていると、次々に高校生が集ってきて、ネコ以外誰もいなかった平和な駅が、たちまち騒々しくなってきた。呉線も、広島=広の通勤電車区間を別にすれば、完全なローカル線なのだ。電車も当然ワンマンだが、やってきたのはワンウーマン電車だった。

▼国土地理院 「地理院地図」
34度17分32.82秒 132度50分49.21秒




タグ:広島県
「風待ちの駅」とか海霧・山霧とか、独特の気候風土ですね。関東平野の武蔵野育ちは海にも山にも縁遠く、土手歩きで“川霧”を目撃して興奮する手合いなんです。じゃによって、それが一緒のこういう景色はぜいたくというか見慣れない画像に感じられます。
「昔の想い出が霧のように湧いてくる」といふ感じ、わかりますなあ。もっとも拙者の場合、頭に霧がかかったやうな日々で、逆にいろんな知識・記憶がそのなかに消えていく感じなのですが……。
by knaito57 (2008-08-28 09:33)
@逆に、こういうちまちましたところで育った身としては、武蔵野のどこまでも飽きずに続く微妙な凸凹や、関東平野のバカに広くてのっぺりしたところが、新鮮に思えるのです。
思い出は霧の中。それは誰もひとりひとり極めて個人的なことで、秘かに思っている。だから美しいのでしょう。
それをどう表に出すかは、これはこれで、技術というか、配慮も必要なのですね。いちおう、それはわかっているので、これでもわきまえているつもりなのですが、どうでしょう?
昨日はNHKが長い時間かけて「思い出のメロディー」なるものをやっていましたが、さすがにこういうのは正視できない…。
by dendenmushi (2008-08-31 07:53)