303 藤ガ鼻=呉市安浦町大字安登(広島県)後悔するというのでもないがやっぱりあっちのコースのほうがよかったかも… [岬めぐり]
後悔するというのでもないが、やっぱりあっちのコースのほうがよかったかも知れない、ということは岬めぐりではしょっちゅうだ。けれども、あれはまずったからやり直しということは、よほどのことがなければ、しないことにしている。岬めぐりもまたちょっとカッコつけて言えば「一期一会」なのだ。
藤ガ鼻を眺めたのは呉市安浦町大字安登で、その所在地名は同じなのだが、だいぶ離れている。しかも、そこへ行くには東側からだと、道がない。むしろ、安芸川尻から小用行きのバスに乗ったほうがよかったのだが、後になって気づいても遅い。
安浦の駅からタクシーに乗って、小さな浜までやってきた。このあたりでは藤ガ鼻が見える唯一の場所である。それというのも、この日の宿を安浦のグリーンピアに決めてあったためでもある。例のお役所仕事のホテルだが、どんなところか見ておきたいというつもりもあったが、運転手さんの話では民間に委託してから大衆演劇が常駐し、客も増えたらしい。するともう民営化されたのか。
何度か書いているが、今の日本の旅館ホテルの類いは客を一人でも多く入れるか、ということしか念頭にないので、はなから一人旅の客などお呼びでない。ここもいかにもそうだったので、できればそんなところには泊まりたくなかったのだが、ほかに適当な方法がなかったので、これもめぐり合せというものだ。
藤ガ鼻がかろうじて見える浜へ降りていく手前の山中に、なにやら場違いな新興住宅地のような一角があり、これがグリーンピアを造成するときに立ち退かせた民家の代替地なのだと、運転手さんが教えてくれた。へえー。そんなことまでしていたのか、と改めて驚いた。
しかしまあ、そうして確保した広大な敷地である。これだけは民間の観光会社などではマネできない。そして、いろいろな施設の半分は休眠状態であるらしい。そばの山から一筋の溝が流れているが、これも巨大すべり台だったのだが、数年前にこどもがケガをするという事故があって以来、封鎖されたままであるという。やれやれ…。
藤ガ鼻のバックに映る山は、野呂山につながる山や灰ヶ峯あたりだろうか。標高800メートルほどの野呂山にも一度だけ登ったことがある。この山の山頂付近は、ちょうど小型の高野山のように、平らに開けている。だが、その野呂山登山の記憶は“登った”ということだけで、その周辺のことをいっさい覚えていないのも不思議なことだ。
一人だからというので、随分な割り増し料金を適用されたうえ、料理はスタンダードだという夕食は、まったく褒められたものではなかった。これなら、オールバイキングの休暇村のほうが、はるかにマシである。そのくせ一人前に懐石風にちょびちょびでてくるのだが、その敷いてある紙にこんな歌が印刷されていた。
「波のおとをこころにかけてあかすかな苫もる月の影を友にて」
西行の歌であるという。彼もまた厳島神社へ参詣の途中船がここの入江に風待ちをしたのだという。いわれてみれば、古来からこの瀬戸内海があることで、東西の往来交流がどんなに助けられてきたか、見慣れた瀬戸の風景も、この国においては格別の存在であったのだ。
▼国土地理院 「地理院地図」
34度14分23.47秒 132度43分42.34秒
中国地方(2008/07/14 訪問)
藤ガ鼻を眺めたのは呉市安浦町大字安登で、その所在地名は同じなのだが、だいぶ離れている。しかも、そこへ行くには東側からだと、道がない。むしろ、安芸川尻から小用行きのバスに乗ったほうがよかったのだが、後になって気づいても遅い。
安浦の駅からタクシーに乗って、小さな浜までやってきた。このあたりでは藤ガ鼻が見える唯一の場所である。それというのも、この日の宿を安浦のグリーンピアに決めてあったためでもある。例のお役所仕事のホテルだが、どんなところか見ておきたいというつもりもあったが、運転手さんの話では民間に委託してから大衆演劇が常駐し、客も増えたらしい。するともう民営化されたのか。
何度か書いているが、今の日本の旅館ホテルの類いは客を一人でも多く入れるか、ということしか念頭にないので、はなから一人旅の客などお呼びでない。ここもいかにもそうだったので、できればそんなところには泊まりたくなかったのだが、ほかに適当な方法がなかったので、これもめぐり合せというものだ。
藤ガ鼻がかろうじて見える浜へ降りていく手前の山中に、なにやら場違いな新興住宅地のような一角があり、これがグリーンピアを造成するときに立ち退かせた民家の代替地なのだと、運転手さんが教えてくれた。へえー。そんなことまでしていたのか、と改めて驚いた。
しかしまあ、そうして確保した広大な敷地である。これだけは民間の観光会社などではマネできない。そして、いろいろな施設の半分は休眠状態であるらしい。そばの山から一筋の溝が流れているが、これも巨大すべり台だったのだが、数年前にこどもがケガをするという事故があって以来、封鎖されたままであるという。やれやれ…。
藤ガ鼻のバックに映る山は、野呂山につながる山や灰ヶ峯あたりだろうか。標高800メートルほどの野呂山にも一度だけ登ったことがある。この山の山頂付近は、ちょうど小型の高野山のように、平らに開けている。だが、その野呂山登山の記憶は“登った”ということだけで、その周辺のことをいっさい覚えていないのも不思議なことだ。
一人だからというので、随分な割り増し料金を適用されたうえ、料理はスタンダードだという夕食は、まったく褒められたものではなかった。これなら、オールバイキングの休暇村のほうが、はるかにマシである。そのくせ一人前に懐石風にちょびちょびでてくるのだが、その敷いてある紙にこんな歌が印刷されていた。
「波のおとをこころにかけてあかすかな苫もる月の影を友にて」
西行の歌であるという。彼もまた厳島神社へ参詣の途中船がここの入江に風待ちをしたのだという。いわれてみれば、古来からこの瀬戸内海があることで、東西の往来交流がどんなに助けられてきたか、見慣れた瀬戸の風景も、この国においては格別の存在であったのだ。
▼国土地理院 「地理院地図」
34度14分23.47秒 132度43分42.34秒
中国地方(2008/07/14 訪問)
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