232 和田岬=神戸市兵庫区和田崎町一丁目(兵庫県)そして神戸…ひとつが終わり生まれる [岬めぐり]
初めて神戸に来たのは、もう50年も前のことで、それが“出張初体験”だった。「青春時代の真ん中は胸に棘刺すことばかり」というのは、まったくそのとおりで、今に至るもあちこち刺された痕が疼くことがよくある。ここにもまたそんな棘の一本があったが、あのとき摩耶山の中腹から眺めた神戸の町と海は、その頃とは様変わりになっている。
テレビでみた阪神淡路大震災の衝撃も大きかったが、それが短時日のうちに、復興したということにもまた驚かされた。
震災のはるか前から、神戸市は「これではまるで“株式会社神戸市”という土建屋ではないか」といわれたほど、大々的な土木工事に精を出した。その当時来たときにみたのは、六甲山系から急な川が海に注ぐ地形を利用して、何本かの長いベルトコンベアが、六甲・摩耶の土を海に流し込んでいた光景だった。
その土が、一部沿岸の埋め立てのほか、二つの巨大な人工島を造成しており、今ではそのさらに沖合にできた新空港まで、羽田からひとっ飛びである。
東京=大阪間では新幹線と飛行機の利用割合は、8:2なのだそうである。これが東京=岡山間になると、7:3か6:4くらいになり、東京=広島間では5:5になるのだそうだ。
ちょうど今日から、JRが春のダイヤ改正で、広島行きののぞみを大増発したのは、この比率をこれ以上悪化させたくない、という思惑があるためなのだ。だが、ヒコーキの利便性は空港までのアクセスにもよる。政治家に配慮した立地選考だったように一部でささやかれた広島空港などは、備後地方の人のためには便利でも、広島の中心部へはリムジンバスで1時間もかかるのでは、なんのことやらわからん。表向き他の候補地では霧の影響がでるということでここに決まったといわれていたが、でんでんむしの経験でも、霧で広島空港に降りられず、大阪空港まで引き返したことがあるくらいで、ますますなんのことやらわからん。
でんでんむしは列車も好きだが、歳のせいで長時間座っているのが苦痛になってきた。うまく使えば、新幹線より飛行機のほうが安いという場合も少なくないので、だんだん飛行機が多くなってきた。
神戸空港に降りると、スカイマークの東京行きが出るところで、その便は空席待ち番号1番の人だけがなんとか滑り込めた。そういう放送があったので、“なるほど、そうなのか”と思ったのだが、その数日後に出た新聞記事では、総体的にはこの開業前にとかくの是非論議もあった新空港の採算性はまだまだらしい。
ポートアイランド線というモノレールの車窓からも、ちょっとだけは見ることができるのだが、できるだけ近くまで行くため三宮まで出て、和田岬へ向かう。
ただ、この和田岬は、三菱重工の神戸造船所の中にあるので、一般人がふらふら入ることはできない。そこには歴史的な建造物である和田岬砲台というものがあって、造船所は予約制でその砲台見学希望者の案内をしている。入り口から砲台までは、造船所の構内を20分も歩かなければならない。
歩くのは苦にはならないが、申し込んで日時を合わせるのが大変。そこまでする必要もないので、隣の市場のある埠頭あたりから眺めれば、それでいい。
この和田岬は、大阪湾では一番西のとっかかりで、これより大阪よりにはもう岬はない。大阪を過ぎてぐるっと南海線にそって南に回り込む海岸線にも岬はなく、次に現れる岬は、もう和歌山との県境に近い、その名も大阪府泉南郡岬町の淡輪にあるみさき公園の長崎である。
湾をつくる端は岬になることが多いが、その内接湾内には岬はない。大阪湾でも、やはり湾の内側の岬はないのである。ひとつには、河口の埋め立てなどが進んで、あったはずの岬が陸地に取り込まれてしまった、ということもあるのかも知れない。
その前に「和田岬駅」の写真くらいは撮っておかないとね…。なにしろ、「岬」が駅名についているのは、数少ない。山口県は小野田の「本山岬」がそうだったのだが、ここも昼間はまったく電車が走っておらず、乗ることができなかった。(JR小野田線の「本山岬」駅は、どうやら名前が変わってしまったらしい。今の地図では「長門本山」となっていた。)
JR和田岬線は、兵庫から一駅だけの線で、ここもそれと同様に、造船所のための通勤時間だけしか電車は走っていないようだ。駅舎をくぐって無人のホームに立つと、まだ芽も固いさくらの枝が、かぶさってくる。この下を歩いて工場へ向かう人の目の前の柱には「お早うございます 今日もお元気で」と書かれている。工員さんたちの出勤風景も、なんとなく懐かしい趣がある。
もひとつおまけに、ここには地下鉄の駅にも「和田岬」駅があるのだ。地下鉄の駅名に岬。これは、日本で唯一ここだけだろう。
「花時計」とかいう駅名もいかにも神戸らしいが、そこから出ているこの地下鉄・海岸線は、2000年にできた線だという。中央市場駅の改札口の前の壁には、開通記念にその年の地元の新生児たちの足型・手形がタイルに焼かれてぎっしり並んでいる。これがまた、新しい神戸を生み出す力になっていくことだろう。この足型・手形を残したこどもたちも、いまはもう小学生。
再び中央市場に戻って、和田岬が見えるところまで延々歩いて、やっとどうにかそれらしいところを眺めることができた。
歩いていて改めて気がついたのだが、ここらあたりが「福原」だったのだ。卓球の選手ではない。(そういえば、四元さんのてくてく旅・お遍路編が始まりマッシュ!)『平家物語』である。
平清盛が、開港の必要と海路の重要性に気がついたのは卓見であったが、都まで移そうとしたのは失敗だった。兵庫の湊は、そうして開かれ、今日の神戸港の礎を築いた。それを思うと、またしても歴史の不思議さに打たれる。
神戸の進取性や力強い行動力のようなものは、案外そうしたこととも無関係ではないのだろう。ポートアイランドでは、まだ広い空き地で、ショベルカーが動いていた。
▼国土地理院 「地理院地図」
34度39分8.06秒 135度11分9.43秒
近畿地方(2008/02/07 再訪)
テレビでみた阪神淡路大震災の衝撃も大きかったが、それが短時日のうちに、復興したということにもまた驚かされた。
震災のはるか前から、神戸市は「これではまるで“株式会社神戸市”という土建屋ではないか」といわれたほど、大々的な土木工事に精を出した。その当時来たときにみたのは、六甲山系から急な川が海に注ぐ地形を利用して、何本かの長いベルトコンベアが、六甲・摩耶の土を海に流し込んでいた光景だった。
その土が、一部沿岸の埋め立てのほか、二つの巨大な人工島を造成しており、今ではそのさらに沖合にできた新空港まで、羽田からひとっ飛びである。
東京=大阪間では新幹線と飛行機の利用割合は、8:2なのだそうである。これが東京=岡山間になると、7:3か6:4くらいになり、東京=広島間では5:5になるのだそうだ。
ちょうど今日から、JRが春のダイヤ改正で、広島行きののぞみを大増発したのは、この比率をこれ以上悪化させたくない、という思惑があるためなのだ。だが、ヒコーキの利便性は空港までのアクセスにもよる。政治家に配慮した立地選考だったように一部でささやかれた広島空港などは、備後地方の人のためには便利でも、広島の中心部へはリムジンバスで1時間もかかるのでは、なんのことやらわからん。表向き他の候補地では霧の影響がでるということでここに決まったといわれていたが、でんでんむしの経験でも、霧で広島空港に降りられず、大阪空港まで引き返したことがあるくらいで、ますますなんのことやらわからん。
でんでんむしは列車も好きだが、歳のせいで長時間座っているのが苦痛になってきた。うまく使えば、新幹線より飛行機のほうが安いという場合も少なくないので、だんだん飛行機が多くなってきた。
神戸空港に降りると、スカイマークの東京行きが出るところで、その便は空席待ち番号1番の人だけがなんとか滑り込めた。そういう放送があったので、“なるほど、そうなのか”と思ったのだが、その数日後に出た新聞記事では、総体的にはこの開業前にとかくの是非論議もあった新空港の採算性はまだまだらしい。
ポートアイランド線というモノレールの車窓からも、ちょっとだけは見ることができるのだが、できるだけ近くまで行くため三宮まで出て、和田岬へ向かう。
ただ、この和田岬は、三菱重工の神戸造船所の中にあるので、一般人がふらふら入ることはできない。そこには歴史的な建造物である和田岬砲台というものがあって、造船所は予約制でその砲台見学希望者の案内をしている。入り口から砲台までは、造船所の構内を20分も歩かなければならない。
歩くのは苦にはならないが、申し込んで日時を合わせるのが大変。そこまでする必要もないので、隣の市場のある埠頭あたりから眺めれば、それでいい。
この和田岬は、大阪湾では一番西のとっかかりで、これより大阪よりにはもう岬はない。大阪を過ぎてぐるっと南海線にそって南に回り込む海岸線にも岬はなく、次に現れる岬は、もう和歌山との県境に近い、その名も大阪府泉南郡岬町の淡輪にあるみさき公園の長崎である。
湾をつくる端は岬になることが多いが、その内接湾内には岬はない。大阪湾でも、やはり湾の内側の岬はないのである。ひとつには、河口の埋め立てなどが進んで、あったはずの岬が陸地に取り込まれてしまった、ということもあるのかも知れない。
その前に「和田岬駅」の写真くらいは撮っておかないとね…。なにしろ、「岬」が駅名についているのは、数少ない。山口県は小野田の「本山岬」がそうだったのだが、ここも昼間はまったく電車が走っておらず、乗ることができなかった。(JR小野田線の「本山岬」駅は、どうやら名前が変わってしまったらしい。今の地図では「長門本山」となっていた。)
JR和田岬線は、兵庫から一駅だけの線で、ここもそれと同様に、造船所のための通勤時間だけしか電車は走っていないようだ。駅舎をくぐって無人のホームに立つと、まだ芽も固いさくらの枝が、かぶさってくる。この下を歩いて工場へ向かう人の目の前の柱には「お早うございます 今日もお元気で」と書かれている。工員さんたちの出勤風景も、なんとなく懐かしい趣がある。
もひとつおまけに、ここには地下鉄の駅にも「和田岬」駅があるのだ。地下鉄の駅名に岬。これは、日本で唯一ここだけだろう。
「花時計」とかいう駅名もいかにも神戸らしいが、そこから出ているこの地下鉄・海岸線は、2000年にできた線だという。中央市場駅の改札口の前の壁には、開通記念にその年の地元の新生児たちの足型・手形がタイルに焼かれてぎっしり並んでいる。これがまた、新しい神戸を生み出す力になっていくことだろう。この足型・手形を残したこどもたちも、いまはもう小学生。
再び中央市場に戻って、和田岬が見えるところまで延々歩いて、やっとどうにかそれらしいところを眺めることができた。
歩いていて改めて気がついたのだが、ここらあたりが「福原」だったのだ。卓球の選手ではない。(そういえば、四元さんのてくてく旅・お遍路編が始まりマッシュ!)『平家物語』である。
平清盛が、開港の必要と海路の重要性に気がついたのは卓見であったが、都まで移そうとしたのは失敗だった。兵庫の湊は、そうして開かれ、今日の神戸港の礎を築いた。それを思うと、またしても歴史の不思議さに打たれる。
神戸の進取性や力強い行動力のようなものは、案外そうしたこととも無関係ではないのだろう。ポートアイランドでは、まだ広い空き地で、ショベルカーが動いていた。
▼国土地理院 「地理院地図」
34度39分8.06秒 135度11分9.43秒
近畿地方(2008/02/07 再訪)
タグ:兵庫県
知らなんだ、知らなんだ──“のぞみ”増発の背後にそんな陰謀があったとは。世の中、便利とか親切ごかしに勝手に変わっていくから油断ならない。
地域による飛行機と列車の利用比率は、なるほどという数字です。私はもう10年近くも新幹線に乗っていない。用もないし、あれに乗ると憂鬱な気分が蘇ってくるので。飛行機もオーストラリア線に乗っただけ。あそこは歩いて行けないから。それはともかく、空も海もこう混み合うと事故に巻き込まれやすく、これは自分ひとりだけ逃れられる災難ではないから、やむをえず利用するならやはり鉄道ですなあ。
今回の「和田岬づくし」は、人と地理がつむぎだした歴史が随所に覗けて興味深いものでした。
by knaito57 (2008-03-17 09:14)
@今、テレビのCMで、仲間由紀恵さんがでてるでしょ。宮島で「広島にきてみんさい」とか言ってるやつ。もう終わりなのかな?
今年は、親戚の法事がある予定なので、一度帰らなくてはなりません。そのときに行く岬は…!?
そうそう、広島市民球場が今年で最後なので、お別れに行きたいし…。
by dendenmushi (2008-03-19 07:47)