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212 蛭子岬=西尾市宮崎(愛知県)吉良吉田悪名をまとえど綺羅とひかるあり [岬めぐり]

 吉良吉田の駅前からタクシーに乗り、吉良高校の浜(といっても、ここはコンクリートの段々で砂はない)まで連れて行ってもらう。ここから、東南に延びているのが蛭子岬である。そのことに間違いはないのだが、この写真で見えているほとんどは吉田港の堤防で、その向こうの右端に見えるのが蛭子岬であり、そのさらに向こうに吉良温泉の旅館街が連なっている。

 三河鳥羽の方から岬の方向を眺めるとこんな感じだが、こちらは岬までは距離があり、それが見えているわけではない。

 前回そこの吉良温泉へ泊まったときには、どういうコースでそこまで行ったのか、どうも記憶がない。おそらく、三河鳥羽で降りて東側からバスかタクシーで入ったのだろうか。しかし、今見ると地図ではバスの路線があるようには表示していないし、この駅にはタクシーなどいそうにない。

 今回は、これから大府を回って知多半島を南下し、今日のうちに伊良湖へ渡らなければならないので、交通不便な蛭子岬はそのそばまで行くことができないのだ。
 それで、岬の見える吉良高校の辺りまできたが、前には帰りのタクシーで別の道を通ったので、ここは初めての場所だった。そこで、新発見だったのが、この吉田の塩田はこの辺りだったということだ。


 矢崎川には、前には見なかった赤い橋が架かっていたが、その向こうは現在の地図でも大きく碁盤目に道が走っている。ここが吉良の塩田のあった場所だそうだが、吉良と赤穂はその特産物では競合するライバル関係にあったわけである。
 といっても、塩の品質では赤穂の方がはるかに勝っており、吉良の塩は主に塩尻峠を越えて信州などの山の中での需要や、物を保存する塩漬け用の塩として使われていた。そのため、吉良は赤穂に精製の技法を学ぼうとしたのだが、見事に断られてしまった。そういう史実も、実はあったらしい。
 ご存知『忠臣蔵』は、あまりにも人口に膾炙したため、そのすべてが史実のような錯覚さえ起こさせるところもあるようだが、事実はまた別のところにあった。
 吉良の殿様は、地元ではいまだに絶大な尊敬と支持を集めている“名君”である。それは、今でいう町興しと防災対策にぬかりなく、領民の生活を守ったからだ。戦後ほぼ一貫して政権を握り続けてきた自民党も、今ごろになって民主党のマネをして「生活」がどうとか言い始めているが、これも選挙対策用の付け焼き刃に過ぎないことがミエミエ。
 それに比べても、吉良の殿様のほうがはるかにマシであったらしいことは、タクシーの運転手さんが話の端々に何百年も前の封建領主のことを出すときに、「吉良様」ということでもわかろうというものだ。
 少々無理を承知の比較をしてしまったが、吉良吉田の駅前をみても、その後の吉良の人々の生活が、「吉良様」を越える名君をいただくことがなかったことを思わせてしまう。
 現在では吉良町の名も消え、蛭子岬の所在地も吉良町宮崎から西尾市宮崎に変わってしまった。吉良の海は静かに広がり、南西には知多半島が見えている。

 この駅前からさらに北のほうに、中心部を外れた住宅街の中の図書館に併設されて、尾崎士郎記念館がある。そこへは前回行ったので今回はパス。
 ご存知『人生劇場』は、神田神保町のパチンコ屋の名前だと思っている人も多いだろうが、「やあ〜る〜とおもえばどこまあ〜でえ〜やるさあ〜」という歌のほうが、もっと有名かも知れない。その歌詞の中に「き〜ら〜の〜にきちは〜おとこ〜で〜ござる」というのは、思わぬところで意外な人に出合ってしまったような印象がある。
 去年、NHK-BSのハイビジョンで放送した、大阪の国立文楽劇場での『仮名手本忠臣蔵』を通しでみたが、これは人間国宝が入れ替わり立ち替わり相務めるすごい舞台だった。日本人の大好きな『忠臣蔵』も、この話が最初に人形浄瑠璃で上演されたときには、時代も場所も名前も、鎌倉時代で鶴岡八幡宮で高師直といったぐあいに、すべて置き換えられていた。
 それが実名になって、歌舞伎などになってさらに広まっていく。悪役として吉良上野介の名が広まり、こうまで定着してしまったのには、さまざまな要素がからんでいるが、ひとつには事件当時の幕政への批判が赤穂の義挙を賛美するという反動となり、上野介を必要以上の悪者にして溜飲を下げようといういびつな形で顕在化した、ということもあるだろう。
 犬公方と言われたマザコンの綱吉とそのイエスマン取り巻き腰ぎんちゃくの柳沢吉保らの幕閣の無能さを、面と向かって批判できなかった庶民の怒りやくったくを、かなりの部分吉良が引き受けてしまうことになってしまった、ということも言えるのではないか。
 結局、政権が綱豊(家宣)に交代するまで、生類憐みの令も撤廃されることはなかった。やはり、政権交代こそが世の中を変える。
 吉良吉田の人々は、ながく悔しい思いをしてきたことだろう。駅に戻ってタクシーを降りるとき、運転手さんはこう言ったものだ。
 「でも、数年前に“忠臣蔵サミット”が開かれましてね。吉良と赤穂の手打ちがあって正式に和解しました。」

▼国土地理院 「地理院地図」
34度46分34.13秒 137度5分14.42秒
212えびすみさき-12.jpg
dendenmushi.gif東海地方(2007/12/17 再訪)

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タグ:愛知県
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コメント 2

knaito57

赤穂騒動“塩恨説”は面白いですね。子母澤寛は、お隣り静岡に移住した旧幕臣たちの茶栽培苦労譚とともに製塩での悪戦苦闘を書いています。多雨が難敵だったとか。
懐かしいな『人生劇場』──神保町では何度かパチンコをやりました。あの辺りの路地が好きでよく通ったタキイは先年なくなりました。でも、池袋は三角寛の『人世座』では……あそこでは安い映画をよく観たもんです。
by knaito57 (2008-01-26 07:10) 

dendenmushi

@ええっ! 池袋にもあったんじゃなかったかな「人生劇場」。三角寛とは別にパチンコ屋が…。
 調べてみましたが、ネットでは確認できなかったので、ここは神田神保町に修正させていただきました。姫路にもあるんですね。
by dendenmushi (2008-01-27 09:01) 

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