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195 水原州吠崎=潮来市水原(茨城県)橋の間からかいま見る(2011/03修正) [岬めぐり]

 水原洲吠崎は、爪木ノ鼻から目と鼻の先にある。北浦を挟んではいるが向き合うというのでもなく、そっぽを向くというのでもないが斜めに構えてちょっとずれた感じである。


 鹿嶋市と潮来市を分ける北浦を渡る橋が、三本も平行して架かっている。いちばん北側が鹿島線の鉄橋、真ん中が新神宮橋、南が神宮橋である。
 現在の神宮橋は1961(昭和36)年にできたものだが、これが実は二代目で、いちばん古い初代神宮橋は1929(昭和4)年にできていた。この初代の橋桁も、二代目が開通してしばらく20年くらいはまだ残っていたらしい。新神宮橋は、国道51号線のバイパスとしてできたが、2002(平成14)年に、ワールドカップの開催という契機もあったのだという。なるほど、鹿島スタジアムへの道だったわけだ。
 意外なのは鉄橋の方で、鹿島線が開通したのは1970(昭和45)年のことで、鹿島臨海工業地帯の開発にあわせてできたものだということだった。なんとなくもっと昔からあったようもののような気がしていたが、それでこそ昭和35年に初めて来たときにも、バスツアーでしか来る方法がなかった不便な地であったということが裏付けられるというものだ。

 鉄橋の橋桁を、ざっと目の子で数えてみると50もあるので、間隔が25メートルとして、1,250メートルもあることになる。長い橋だが、鉄橋は渡れないし、バイパスを通るのもおもしろくないので、ここはやはり大きな擬宝珠をもつ神宮橋を、橋桁の間に水原洲吠崎を望みながら渡ることにする。


 神宮橋の南側はもう北浦ではなくなって、鰐川となる。この両岸も、昭和の初めの頃に干拓で広げられた土地なのだ。
 左岸の大船津というところが、その名が示しているように船着場であり、鹿島神宮への正面参道であったらしい。

 鹿島神宮は小高い丘のような場所に位置しているので、参拝者は鰐川を舟で上ってきて、参道にあがると目の前に大鳥居が飛び込んでくる、という仕掛けだったことが想像できる。このあたりには鹿も多くいて、地形が島のように見えたので、その名が起こったといわれている。
 だが、そもそも、こんなところに(といっては申し訳ないが)なんで鹿島・香取といった神社があるだろう。なんで、時代劇に出てくる道場の床の間?には神棚があって、壁には必ずこの二つの名を記した掛け軸がぶら下がっているのだろう。…そんな疑問を薄ぼんやりと思っていた時期もあったが、これが豊葦原瑞穂国始まって以来という伝説に起源している。
 祭神は、イザナギ、イザナミの孫に当たる武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)で、香取神宮の経津主大神(ふつぬしのおおかみ)とともに、国中の荒ぶる神々を最初に平定した、ということから、武威武道・国家守護の神としてあがめ奉られてきた。そういえば、「鹿島立ち」という言葉も、防人の旅立ちに由来する。
 大和朝廷が課題としていた東国経略の拠点であったことが、今に至るまで伊勢神宮と並ぶ三大神宮として数え上げられることにつながっているのだろう。
 この霞ヶ浦シリーズの最初でふれたヤマトタケルの故事とあわせて、この一帯が非常に古い歴史に彩られた特別な場所だった、ということがうかがえる。今の風景は、それともまったく無縁なようにしかみえない。
 それでも、もうすぐやってくる初詣での時には、この神宮橋は大混雑を迎えることだろうが、今は車は少しは通るものの、この橋を歩いて渡る人間など、誰一人いない。


 延方の方へ北浦湖岸を少し歩いてから、また51号線に戻って,潮来車庫まで歩くことにする。そこから数少ないバスに乗らないといけないので、水原洲吠崎の先端までは行くことができない。丘の上に見えている白い建物が、かんぽの宿だろう。いつかまたそこへ泊まるように来ることができればいいのだが…。


 51号線とバイパスは、延方ですぐ合流しているので、ここから潮来車庫までは白い線で仕切られた狭い歩道を歩くにも、ひっかけられないように気を遣わなければならぬほどの交通量で、ひっきりなしに車が通る。トラックなどの大型車が多い。
 結局、爪木ノ鼻から潮来車庫まで、約7キロほどを歩く間、同じように道端を歩いていた人間には、一人も出会うこともすれ違うこともなかった。道は、とうに人が歩くためのものではなくなっていたらしい。
(2011/03「若草大橋」さんのコメントを受けて 補筆修正しました。)

▼国土地理院 「地理院地図」
35度58分49.95秒 140度35分16.67秒
195みずはら-95.jpg
dendenmushi.gif関東地方(2007/11/24 訪問)

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コメント 4

knaito57

1枚目画像の影──土手では自分の影が写りやすいので、私もヒチコックみたいにしばしば“出演”しています。で将来、衛星画像の解析力がさらにアップして(この影から人相を特定できるかも)と妄想したりします。
「とうに道は人が歩くためのものではなくなった」! “橋”もそうですねえ。
by knaito57 (2007-12-20 07:14) 

dendenmushi

@そうか、ヒッチコックね。そうです、影が写ってしまいました。とくにこの時期は、影が長い季節ですからね。
 でも、もうだんだん日の入りは遅くなり始めています。
 knaito57さんのコメント入れる時、ついでにURLを入れておいてもらうと、それがボタンになって、見てる人がすぐ飛んで行けます。
 
by dendenmushi (2007-12-21 07:17) 

若草大橋

間違ってますよ
神宮橋は1961年で新神宮橋は2002年ですよ。
by 若草大橋 (2011-03-26 23:23) 

dendenmushi

@若草大橋さん、ご指摘ありがとうございました。やっと、調べがついたので、修正させていただきました。
 神宮橋は、初代が1929(昭和4)年で、現在のが二代目だったのですね。情報が複雑骨折してしまいました。
by dendenmushi (2011-03-31 18:14) 

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