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196 天王崎=行方市麻生(茨城県)嗚呼!レンコンカレーはまたしても… [岬めぐり]

 関鉄バスの潮来車庫に着いて、事務所で鉾田行きのバスの時間を確認する。
 「このバス、霞ヶ浦の方を回って行きますよね?」「行きませんよ。これは北浦の方を行くので霞ヶ浦は行きません」「ええっ? そそうなんですか? 麻生は通らないんですか?」「麻生は通りますけど。どこへ行くんですか?」「天王崎です。麻生から歩いて行くつもりなんですが、どこの停留所で降りるのがいいのかと思いまして」「ああ、それなら麻生で降りてください」
 いきなり霞ヶ浦は通らないと言われたので、おおいにあせってしまった。麻生までは霞ヶ浦を通り、そこから向きを北に変えて、それから北浦沿いにこのバスは進む。事務所の人は後のコースを説明しており、聞く方は前の方を尋ねていたことになる。そんなやりとりがあったので、その後の玉造へ行くバスのことを聞いて確認するのを、すっかり忘れてしまった。
 ネットで調べたところでは、鉾田行きが出た1時間後に、玉造行きが出ることになっていた。つまり、天王崎ではほぼ1時間の余裕があるはずだった。それで、玉造に行き、そこから土浦行きに乗り換える便があるはずなので、それに乗れば、土浦でレンコンカレーを食べて帰ることができるし、それで霞ヶ浦を一周することにもなる。



 天王崎は、ちょっとした州の出っ張りで、そばに神社と松林があり、北側一帯は公園になっており、公営の温泉施設までできている。神社の境内に掲げてある由緒によると、「霞ヶ浦」の語源は、景行天皇が印旛沼付近から東を見たときに霞がたなびいている、といわれたことにより、この付近が「香澄の里」とよばれるようになった(『常陸風土記』)のだという。
 何かというと、天皇が出てくるありがちなパターンだが、こういう情報に接しても、新幹線もなかった時代、景行さんもどうしてこんなところまでやって来たのだろ、さぞかしご苦労なことだったろう、などと思わなくなっている自分に気づいて、う〜ん。

 麻生は、麻が生い茂っていたところからついた名であろう。それを姓氏にした麻生氏は、例のオタクの麻生さんの筑後が一大勢力だが、ほかにもいくつかあり、ここは宇都宮氏の流れをくむ。城下川という川があり、そばの高台になっている麻生高校のあたりが、その居城があったところだろうか。霞ヶ浦の水運上の拠点ともなった河岸もあった、小さいけれど古い町である。
 このあたりは、湖岸の道もきれいに舗装されていて、対岸の妙岐ノ鼻、和田岬付近を眺めながら、気持ちよく歩くことができる。いろいろな鳥の姿が、あちこちで見られた。


 防波堤で釣りをしている人が、突然竿を上げた。何か釣れたようだ。かなりの大物らしく、堤防から引き上げることができないので、慎重にリールを巻き上げながら、砂浜に移動して寄せようとしている。
 駆け寄ってみると、コイである。1メートルとはいかないが、80センチくらいはありそうだ。
 「わぁ! 大物ですねえ。タモアミで上げたほうがいいんじゃないですか」「アミはあるんですけど、車においてきたんで…」

 後からの思案では、このとき「車からアミをとってきてあげましょうか」と聞いてあげればよかった。だが、それでも間に合わなかったかも知れない。浅瀬にもってきたので、砂地を叩いて強力な反動がつけやすかったのだろう。この後、コイはひとあばれして糸を切って逃げてしまった…。
 コイは思案の外、ということか。まだ俎板にはのっていないぞ、というところか。
 イチゴなどを栽培しているハウスの畑を抜けて、余裕のつもりで天王崎のバス停に出て、時刻表を見ると、ガァーン!
 なんたること! 玉造行きのバスは、10分前に通過した後だった。ネットの情報が違っていた、ということか。どうやら、“1時間後”ではなかったらしい。車庫の事務所で、しつこく尋ねなかったのが、仇となった。
 この瞬間、レンコンカレーはまたしても幻と消えた。次のバスは夕方で、それだと土浦への連絡バスはもうない。ここで逆方向のバスを50分待って、潮来へ引き返すしか道はないようだ。
 バス停の前に、常安寺というお寺がある。その境内で、時間つぶしをさせてもらう。立派なコンクリートの本堂があり、古い大きな木が何本もあり、たくさんの墓が並ぶ墓所が続いている。
 古い鐘楼の陰で座っていると、和尚さんが通りがかりにていねいにお辞儀をされるので、あわててこちらも頭を下げる。

 墓というのもなかなか、紋所をみて歩くだけでもおもしろいものだ。山の斜面から上まで、広い墓地の間をぶらぶら歩いていると、ここには「永作」という家の墓が、とても多いことに気がついた。いずれは、このあたりの豪族か何かの一族だったのだろうが、その名字からすぐ浮かんだのが、去年の大河ドラマ『功名が辻』で茶々の役を演じていた、丸顔の女優さんである。芸名でなければ、あの人もここの人だったのだろうか。
 そんなことを思いながら、墓所の上から霞ヶ浦とビニールハウスの列を眺めていたのだが、帰ってきて調べてみると、これが大当たりのピンポ〜ン!

 永作博美さんは本名で、麻生高校の出身。実家はこの天王崎でイチゴ農家を経営していて、ショートケーキ用に出荷しているという。なんとまあ。じゃぁ、あのハウスがそうだったのか?
 ネットの情報にはたまに間違いもあるけど、妙におもしろいものだ。が、それにつきあおうとすれば、とにかく時間がいくらあっても足りない。人が書いた情報を調べて、それをネタに書き連ねてみてもしょうもないし、きりがないのだ。
 でんでんむしの場合は、事前に調べるのは電車やバスの時刻表だけで、帰ってきてから自分で見たり考えたりして書いたことの、裏付け確認をとる必要がある場合のみ、簡単に調べることにしている。
 麻生の永作を調べるついでに、おばあさんの役が似合うようになった香川京子さんも、なんとか疑惑追及からは逃げ切ったかにみえる額賀大臣も、ここの出身だったことがわかった。まだ見ていないのでよくわからないが、『続・三丁目の夕日』では天王崎公園でのロケが行なわれたらしいことも知った。
 さらについでに、昨年の合併でできた行方(なめがた)市だが、その際にはどこへどうくっつくか三通りの合併の道があり、その行方をめぐってはそれぞれ対立してもめたらしい。麻生では、潮来市との合併を望む声が強かったらしい。市長選には旧玉造町の町長が当選したという。
 ほらね、こんな調子で書けば、合併前の議員のお手盛り旅行とか、町長のコンパニオン事件とか、いくらでも出てくるので、きりがないわけです。
 でも、なるほど。市役所が市域でいうと南の端っこの麻生にあるのは、そのしこりを解消しようという配慮なのだろうか。これもまた、いかにも日本的妥協の産物ということか。
 ところで、「妥協」という言葉が、「負」のイメージを強く持つようになったのはいつからなのだろうか。もともと日本語でも、そのニュアンスはあったが、このごろではみんながみんな、やたら格好つけて、「妥協しちゃだめだ」とか「妥協は許せない」とか、いとも簡単にのたまう。“妥協=悪”とまで引っ張っていく傾向が、どんどん強くなるような雰囲気があるのは、どうも気になることのひとつである。これでは、世の中はギクシャクするばかりだ。
 米語はともかく、英語ではcompromiseにはプラスイメージもかなりあるはすで、これがさすがは大英帝国、老大国の知恵というものであろう。
 「でんでんむしの岬めぐり」は、こっちがだめならあっち、そっちへいけなきゃこっち、とばかり、常に周囲の状況に流されて漂う、いわば「妥協の旅」とでもいうべきものなのでありまして、もうすっかり“妥協ぐせ”がついておりますです。ハイ。

▼国土地理院 「地理院地図」
35度59分10.45秒 140度28分35.60秒
196てんのうざき-96.jpg
dendenmushi.gif関東地方(2007/11/24 訪問)

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タグ:茨城県
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