180 富神崎=いわき市平沼ノ内(福島県)砂浜ところにより岬のいわきの海岸線 [岬めぐり]
地方都市の駅前というのは、なんとなくどこも同じようにみえる。
駅ビルがあって、駅前広場にはバスとタクシーの乗り場があって、お馴染のコンビニやミスドやマクド(これを“マック”という人が多いが、でんでんむしにとっては“マック”といえば“Macintosh”以外にはない)にケータイの店などが並ぶ。
ちょっと大きい町だとこれに大型店舗やホテルがあり、サラ金の看板をつけた小さなビルがひしめいている。
その間を、まっすぐに並木の大通りが伸びるが、それがどこまで続くかは保証されない。それに並行するかクロスするかして、商店街がある…。
いわきの町は大きいほうにあたるので、駅前には全国展開しているものを含むいくつかのビジネスホテルがあり、大型商業施設がいままさに開店間近、というところだったが、駅ビルのほうはシャッターを降ろして閉店していた。駅ビルが閉店してしまうと、駅まで薄暗く陰気になってしまう。
合併によって市域が広がり、面積では福島県下ではいちばん広い。もともとは「平」といっていたという古い記憶もあるが、あるいは「小名浜」という港の名のほうが知られていたかも知れない。いや、それよりも「常磐炭坑」のほうか、はたまた「常磐ハワイアンズ」であるかも知れん。そういえば、若い人でも『フラガール』で、ここに炭坑があったことを知った人も増えたかも…。
60年代に流行った「新産都市」という昔懐かしい看板に従って、この町は生まれることになったのである。“地方の活性化”というお題目は、実に50年も前からの課題であり、「新産都市」は当時その対策の特効薬のようにもてはやされ打ち出され、膨大な国費を投じてきた施策だったはずである。
小名浜地区には多くの工場が進出してきたので、郊外には新しい住宅地もでき、「ケーズデンキ」から「アオキ」「TSUTAYA」まで、さまざまな店舗が集結した商業団地も、中心部から少しはずれたところにできている。
それでも、やはり人口はゆっくりと減少しているらしい。
駅前を出たバスは、常磐線では三つばかり南へ行ったところにある泉駅前行きで、ここから東へ海岸に出て、そこから南下して小名浜へ下り、泉まで大回りして行く。いくらひばり人気で塩屋埼に行く人が増えたといっても、塩屋埼行きのバス路線を往復させるほどではないとみえる。いくつもの海沿いの集落を結び、病院通いの高齢者を拾いながら走る、生活路線である。
そのバスが、海に近くなったところで降りると、そこは区画された静かな別荘地のような諏訪原の住宅街。低い土手に上がると、目の前は広い砂浜で、道路を挟んではいるものの松林が続き、白砂青松の趣。その名も「新舞子」というのだが、わざわざ他所の地名をもってきて「新」をつけるなどは、いただけない情けない貧しい発想でしかない。だが、10キロ以上もまっすぐ続く海岸線は、なかなかに見事だ。
ここから北を望めば、長い砂浜の遠くに四倉があるが、ここは岬ではない。そこからさらに北が殿上崎になる。南はまた広い砂浜で塩屋埼につながっている。
富神崎は、岬のほぼ全部が港として整備されていて、いまなおなにやら工事のクレーンが動いている。
砂浜ところにより岬。
37度0分36.89秒 140度58分44.04秒


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