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179 塩屋埼=いわき市平薄磯(福島県)憎や恋しや塩屋の岬見えぬ心を照らしておくれ [岬めぐり]


 灯台の立つ岬の丘は独立しており、コンクリートの傾斜路がジグザグに70メートルも登って行く。薄磯の白い広い砂浜が、だんだんと下へ下がっていき、登りきったところでこんどは南側に3キロは優にあるかと思われる豊間と合磯の浜が続いているのが望める。

 150円。それが燈光会が管理して一般に公開している灯台の、全国統一入場料である。それを入口で払って、白い溝を歩いて塔の中に入り、99段?の螺旋階段を、ぐるぐる回って行く。狭い足場があり、ステンレスか何かの棒でできた手すりの外は、もうなにもない空である。海と風と空と雲と…。

 岬の灯台の風情は、多くの点でどこも同じようにしか見えない。
 だが、ここは塩屋埼である。あの、憎や恋しや塩屋の岬である。

 とにかく、人が多い。人が二人すれ違うのが精いっぱいの狭い灯台のてっぺんは、ちょうどたまたま団体か何かの人の流れとぶつかったのか、手すりからこぼれ落ちんばかりの人で溢れていたが、このときは意外にも若い人が多かった。あるいは、年寄りや団体の多くは、下から見あげるだけで灯台までは登ってこないのかも知れない。
 途中の登り道も、土産物屋が数軒ある下の駐車場も、車や観光バスでやってきた人でいっぱいだ。曲が流れる仕掛けになっている遺影碑と歌碑が並ぶところには、人が切れることがない。ちょうど、この日は日曜日だったのだ。
 登り口には、ひばり一色の周辺にあえて異を唱えるがごとく、『喜びも悲しみも幾歳月』の碑もある。公務員である灯台守は転勤が多かった。全国至るところの主だった灯台で、“ここがその舞台だった”とされているが、ここもそうなのだ。
 だが、観光客を呼び寄せているのは、もちろんひばり以外ではあり得ない。とくに、この『みだれ髪』という歌が病後の復帰第一作目にあたったことも、人々の記憶に刻まれてきたのだろう。日本の戦後が生んだこの国民的天才歌手が、多くの人に愛されてきたことに異論はない。しかし、ひばりへの思い入れは、戦後を生きた日本人のそれぞれが、それぞれに違ったイメージと偶像を結んでもいるはずであって、決して没後になってマスコミがこぞって神格化してきたような、その一色ではあるまい。
 観光バスや車でやってきた人は、あまり足を延ばしそうにない、ちょっと北のはずれには、シルクハットに燕尾服、ステッキをもった少女の像まで立っていた。

 でんでんむしがその映画を観たのは、昭和25年頃、自転車もどうやら三角乗りを卒業できるようになって、少し遠出もできるようになっていた頃である。通っていた小学校は当時の広島市の東のはずれにあり、原爆のときには校庭中に穴が掘られて、臨時の火葬場になった。その校庭に二本の竹で柱が立てられ、そこに白い布を貼って、音のうるさい発電機と映写機を備え付けると、夜には臨時の映画館になる。
 当時の情報伝達は、今考えると驚くべきもので、『悲しき口笛』を小学校でやるというウワサは、またたくまにあまねく知れ渡っており、校庭はめいめいゴザを抱えてやってきた人でいっぱいだった。
 そこで、夜風にばたばたする布に映し出された、大人の歌を上手に歌う少女の姿に、蚊に刺されながらポカンと口を開けてみとれていた…。

 例によって“勝手にわが道を行く”ことにしているらしいZENRINの地図は、↓「塩屋崎」と表示しているが、これは間違い。「塩屋埼」である。←はじめにはそう書いていたのだが、必ずしも間違いとはいえないらしい。要は、灯台を示すのか岬を示すのかで、この違いが生まれるということを、どこかで読んだ記憶がある。しかし、国土地理院の地図でも岬のところに「塩屋埼」と書いているしなあ。

▼国土地理院 「地理院地図」
36度59分43.46秒 140度58分55.79秒
179しおやさき-79.jpg
dendenmushi.gif東北地方(2007/10/14 訪問)

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タグ:福島県 灯台
きた!みた!印(4)  コメント(2)  トラックバック(0) 

きた!みた!印 4

コメント 2

knaito57

ナイス・ビュー! この手すりにもたれて物思いに耽りたい──と思っても、だめでしょうねえ。日曜日とはいえ、団体さんや行列ですかあ(溜息)。
「訪問者100人に聞きました」をやったら、灯台目当てが数人で岬自体を目的とする人はもっと少なく、ほとんどは“ひばり組”と金魚のなんとかではないですか。私はひばり嫌いなので、この記事を肝に銘じて塩屋埼には行かないようにします。
私も観ましたよ。校庭に白い布を張って“活動写真”を。『三丁目の夕日』よりも10年近く前のころですねえ。
by knaito57 (2007-11-07 09:41) 

dendenmushi

@いやいや、そんなこといわずに行ってください。人が多いのは休日だけのようですし。
 ええっ、そうですか。するとあれは日本全国共通のできごとだったのでしょうかねえ。
 そうですね。あの校庭の映画会から10年後には、できたばかりの東京タワーが光っていた東京にいたのです。
 そう思うと、10年というのは長く、いろんなことが変わるには充分な時間なのですね。
by dendenmushi (2007-11-09 07:33) 

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