178 殿上崎=いわき市久之浜町久之浜(福島県)“来るな”といわれてもまた来たよ [岬めぐり]
福島県は、いわきから相馬まで、太平洋に面しておよそ130キロばかりの海岸線をもつ。南の一部を除けば、そのほとんどはまっすぐでのっぺりしている。そんななかにちょこんとあるのが殿上崎で、大久川・小久川という二つの川が海岸近くで合流し、海に注ぐところにその岬はある。
険しくほぼ垂直に切り立つような白い崖の、頂に木々の緑を載せたような岬は、茨城・福島の海岸には多いような気がする。
この岬の北側には、比較的大きい久之浜の港があり、南側は海水浴場の砂浜が広がっている。
こんなふうに、長い砂浜にときどき、ところどころで休止符をつけるがごとくに、岬がぽつぽつと残っている。あくまでもそれは、地球がぶくぶくと泡立っていたときからの、長い長い年月、いや「年月」という概念すらもなかったときから、自然と偶然の織りなしてきた結果に過ぎない。それはわかっていてもあえて、ここだけ、どんないわれやいきさつがあって、岬として残ることになったのだろう。そんなことまで思わせる、福島の南海岸である。
前日の日立訪問を終えると、常磐線に乗っていわきまでやってきた。“スーパーひたち”を待つほどの距離ではないので、日立駅のホームで各停を待っていると、突然アナウンスがあって、事故で運休だという。次の電車を30分以上待たなければならない。
こいうとき、イライラしてもしょうがない。騒ぐことなく、駅のベンチで本など読んでいるのが最良の策だと、そういう対応ができるようになったのも、時に逆らわず、周囲の状況に身を任せて漂っていこうという修行のおかげである。
歌枕の地「勿来関」を越えると関東から東北になる。“来るな”という勿来を越えてやってきた福島は、何度目かだが、前回はバスダイヤの都合が悪くて、塩屋埼へ行けなかった。今回はそのリベンジである。朝一番のバスに乗るべく、いわき駅前のホテルに一泊したのだが、それまで時間があるので、早朝から起き出して先に久之浜まで足を延ばしてやってきたのだ。
どこまで歩いても切りのない海水浴場の砂浜から、古い民家が軒を連ねる路地を抜けて、駅に戻る途中でおもしろいものをみつけた。側溝の蓋に、カラフルなクビナガリュウ(だと思う)とアンモナイトがあしらってある。福島は化石館でも有名なのだ。路傍の祠にお地蔵さん(だと思う)発見。これがまたカラフルな衣装を纏っておられる。なんだが、遠野のおしらさまを思い出してしまった。
ふと見ると、祠の板壁にはさい銭泥棒への警告が掲示してある。
いわきに戻るべく、久之浜の駅の待合室のベンチに座っていると、おばさんがいきなり話しかけてきた。地元のことばなので、半分くらいしか聞き取れないが、なんとか意味は汲み取れる。どうやら、昨日この先であった踏切事故の電車に乗り合わせていて、その体験談を語っているらしい。そのおばさんにとっては、人生における重大事件であったその体験を、とにかく誰でもいいからしゃべりたかったのであろう。
知り合いでもないし、顔見知りでもない。こういうときにも、迷惑そうな顔ひとつしないで、「わたしも日立の駅で乗る電車が運休になりましたよ」などと相づちなどうちながら、ちゃんと応対できるのも年の功というか、修行のおかげ。
ひととおり話は終わったとみえて、今度は後からきたおばさんをつかまえて、再びその事故の模様を語り始めた。
37度8分43.76秒 141度0分13.50秒


新潟の海岸線とはずいぶん違う景観でしょうね。どちらも未知なので、なんだか芭蕉か松本清張の旅日誌を読んでいる気分になりました。
こういうおばあさんの話を相づち打って聞けるのはさすが。またさらに修行を積みましたね。その話の半分くらいしか聞き取れないという事実から、テレビが普及する以前、さらに明治時代以前の日本人同士のコミニュケーション事情を思い、井上ひさしの『国語元年』を想起しました。
by knaito57 (2007-11-05 09:35)
@どこも似たようでなんか違う。それが岬めぐりの楽しさでもあると思うのですが、この茨城・福島の岬には、なにか共通点もあるような…。
井上ひさしはわたしも好きで、昔はマイナーな戯曲なども読みましたねえ。いわゆる標準語が東京の山の手の奥様ことばが基準になったというのも、確かこの作品で知りました。
そういえば、吉里吉里へも行かなければ…。あのあたりは岬だらけなので大変です。
by dendenmushi (2007-11-07 08:18)