170 大明神崎=男鹿市北浦西黒沢(秋田県)忠魂の碑は哀し白蕨 [岬めぐり]
男鹿半島の北部は「北浦」という総称で地名がくくられているが、いわゆる“男鹿温泉”は北浦湯本にあり、大明神崎はその西にある北浦西黒沢にある。この男鹿温泉というところは、地図で想像していたのとはまったく別の風景というか佇まいの静かなところであった。数軒の温泉旅館やホテルが、ごく普通の人家が緩い傾斜地に点在する集落のあちこちに、ついでのようにあるだけで、見慣れた温泉地とはおおいにその趣を異にする。
路線が複雑な男鹿のバスは、男鹿温泉でいくつかの路線が接続する。ここを一種のターミナルとしているようで、バスの連絡と乗換えや乗継ぎができるというより、それを大前提としてダイヤが組まれているらしい。ただ、傾斜地の温泉街ではなく、平地の空地がある“男鹿駐在所前”という男鹿温泉の中心からはかなりはずれた場所にあるところがその接続場所になっている。
他のバスが来たのを見ていると、ここでのバスの乗換えが、おもしろい。バスが向き合って移動し、互いにその乗降口を接して停車し、乗客は地面に降り立つことなく、バスからバスへ移動するのである。
乗ってきた加茂からのバスも、このターミナルで乗継ぎをして、入道崎へ向かうことになるのだが、この時間入道崎へは、すぐに接続便がなく、バスからバスへというわけにはいかない。
降りるとき、運転手さんは、次の入道崎へ行くバスまでは1時間弱の時間があることを心配してくれた。なるほど、ターミナルというのは秋田中央交通がそう言っているわけではなく、こちらが勝手にそう思っただけだが、これは形容としてはまったく当たっていない。確かに駐在所はあるが、こんなところに駐在所だけがあっても、本来の役割が果たせるのだろうか、と思いたくなるような、なんにもないところで降ろされてしまうと誰でも不安になりそうだ。
だが、こちとらは平気なのだ。次のバスがやって来るまでの時間を利用して大明神崎へ向かう。
入道崎へ続く広い道をしばらく行くと、右手に分かれる道があり、お馴染になった菅江真澄の道の標柱がある。こんなところまで来て、白蕨がどうのということまで記録に残しておくというのが、一種凄いことではないかという気もする。黒崎(菅江真澄の記録では“黒崎”で、現在の地名は“黒沢”だが、これはどこかでそう呼び方が変わったのだろう)の白蕨の由来がどれほど凄いものか、それとも通り掛かりに何か書こうにもほかに書くことがないので白蕨の由来でも聞いておくか、ということだったのか、それはわからない。
いかにも古い海沿いの集落へと下って行く道には、大木やお国のために命を捧げた兵士の魂を讃える碑がいくつも競い合うようにして両脇に立っているのが、誠に哀しい。こういう言い方は、誤解を受けやすいが、道路脇に三つの兵士の忠魂碑が、わざわざ道行く人に見てくれといわんばかりに立っている。当時、それぞれの親達は、決して競い合う気持ちなどなかったろうが、自分の家だけが碑を立てないということができなかった、それが許されないような雰囲気が、この小さな村にあったのだろう。
ここに限らず、田舎を歩いていると、こうした兵士の墓や忠魂碑に出合うことが多い。それは、辺鄙なところほど目立つ。大日本帝国は日本中の隅々からもれなく若者を戦場へ狩り立てたが、猥雑な都会のなかではほとんど忘れ去られたかにみえることも、田舎では忘れられることなく、石碑に刻まれ歴史として残っていくのだろう。
蕨などどこにもありそうもないなと思うまもなく、小さな港に出てしまった。その右手に大明神崎がそびえる。その横を、妙に立派な道路がカーブして岬の上のほうに続いているように見えたので、これを登ってみるが、ただの農道らしい。展望があるわけでも展望台があるわけでもなく、海側は険しそうな崖があるらしいが覗くこともできない。広く平らな岬の台地があるだけだ。そうか、このあたりなら蕨が採れたとしてもおかしくない地形だな。
しかし、この道は農道などではないようだ。谷間の集落の細い道を通ることなく港へ往来するためのバイパスだったようだ。この岬の台地に上がってみて、気がついた。おそらく、ここが“黒崎”だったので、港に続く集落のある沢が“黒沢”なのだ、きっと…。
大明神崎というからには、お稲荷さんでもあるのかと思えば、それもない。ただ、それは岬になくても集落の中にあったのかも知れないな。「明神」に「大」をつけると、なんとなく尊崇よりもユーモラスな感じのほうが強くなるような気がするのは、慣用のせいだろう。
したがって、大明神岬の岬らしい写真は、入道崎から帰りのバスから撮ったもののほうが、それらしい。
39度58分59.95秒 139度44分2.29秒
東北地方(2007/09/06 訪問)
このバスの乗り替えは海上の給油みたいですね。若いころ山口県の小郡あたり(私の南限)で乗っていたバスがあぜ道にタイヤをつっこんで立ち往生、丸太をかってみんなで持ち上げる作業をしたことがあります。地方に多く見かける忠魂碑にはさまざまな思いがありますね。杖突街道沿いや当地流山に多く残っている馬頭観音にも往事をしのばせるものがあり、まことに、ところ変わればなんとやらと思いました。
by knaito57 (2007-10-17 09:07)
@給油ですか、まあね。これは停車してからですが、走りながらだとこれはスゴイですが。
しかし、世の中には、いろいろなシステムがあるものだと思いましたね。要するに、乗り継ぐにさいして整理券を引き継いだまま、降車時に精算させるために、こういうことを考えたのでしょう。
by dendenmushi (2007-10-18 08:31)