155 クズレ鼻=檜山郡江差町字鴎島(北海道)かもめの鳴く音にふと目をさまし〜 [岬めぐり]
その名の通りカモメが鳴く鴎島は、その名の通りもともとは島であったろう。228号線が「く」の字に折れ曲がるその先端にも、かつては岬があったのかも知れないが、今は港の整備につれてのことであろう、そこは埋め立てられ、島と江差の町はつながっている。こうして島がつながったおかげで、江差は北と南に島を風除けにした港をもつことができたようだ。北の港からは、奥尻島へ行くフェリーも出る。
クズレ鼻という岬は、この鴎島の南に延びた先っちょについた名前である。朝日に岬の崖も照り映え、上部が緑の草に覆われて、絵に描いたような岬である。
島全体が公園になっており、早朝ジョギングや散歩の人と挨拶を交わしながら歩くと、このところの乾燥続きで草露も留まる間がないらしく、さくさくと乾いた音をたてる。北海道も、この夏は異常に暑いと聞いたのは、帰ってきてしばらくしてのことだったが、この日も暑くなりそうだった。
展望台も兼ねた白くてかわいらしい鴎島灯台と、そこから少し離れて黒っぽい塔があり、「江差追分節記念碑」と白い文字が浮き出ている。そうだな、江差といえば『江差追分』ですよね。
『ソーラン節』が積丹のほうの発祥でありながら、広く北海道の民謡として定着し、のみならず妙な踊りというかダンスというか体操というかがコスプレを伴って、今や全国各地のイベントに広がっているのと比べると、ここ江差の『江差追分』は、あくまでも江差だけの歌である。
民謡というものには、ほとんど興味がないにもかかわらず、常識程度に知っているのは、でんでんむしがこどもだった頃はラジオしか娯楽や情報媒体がなく、そこでは決まって民謡の流れる時間が多かったからに過ぎない。その心細い知識によると、この歌はとても歌うのがむずかしい。「かも〜め〜〜の〜〜〜」だけで数十秒も時間がかかる、その微妙な節回しは、独特の“楽譜”があって、相当な修練を必要とする。
いろんなタレントがいろんな町訪ねる番組というのは、もっとも安直なテレビ番組づくりとしてはびこっている。帰ってきてからのことだが、NHK-FMでいつも聞いている月曜日の「つのだひろ」が、江差を訪ねるという番組をやっていて、追分の名人・師範の歌もちょっとだけ聞かせたが、ついこの前自分が歩いたところが映ってなつかしいような気がした。
島の入口にあたるところの湾内には、瓶子岩というトックリを逆さにしたような岩がある。この岩の注連縄を編んで年に一度掛け替えるのが、漁師たちの重要な祭事だというのを、これまたつい最近テレビでやっていた。訪れた先が、その後にすぐテレビで映るというケースも、偶然とはいえままあることだ。
瓶子岩の反対側の港内には、開陽丸が展示されている。またしても、幕府の軍艦である。300年も続いた幕藩体制が崩壊せんとするとき、その時代の潮流に逆らおうとした者たちは、この船に蝦夷共和国樹立の夢を載せた。
津軽で繁栄を誇った安東氏も、南部との抗争に敗れ、最後には道南に追われてきたし、義経が三厩から船で蝦夷へ逃れた(そして、ジンギスカンになったというのは、少々無理があるようにも思えるが)というのは、有名な伝説である。
この北の大地がアジールであった時代は、とうに終わりを告げた。
▼国土地理院 「地理院地図」
41度51分48.27秒 140度6分39.22秒
北海道地方(2007/06/25 訪問)
民謡に興味がなく、あの独特な節回しにはとてもついていけない音感の持ち主である点では私も同様です。それが「昭和歌謡黄金時代=春日八郎/三橋美智也」をビデオにとって以来、認識が変わりました。歌手を志望して上京、高校生の三橋が(売り込み先で)最初に歌ったのが「江差追分」であること、聴くたびにこの曲(民謡)の豊かな奥深さに感銘するのです。それと中学高校時代に一番好きだった高木彬光の『成吉思汗の秘密』を懐かしく思い出しました。
by knaito57 (2007-09-12 16:43)
@やっぱり民謡出身の歌手は三橋美智也もそうですが、歌がうまい人が多いですね。
昨日聞いていたラジオで、堀内孝雄がこどものころ、「りんご村から」とか「哀愁列車」をそらで歌っていたと語っていました。
by dendenmushi (2007-09-14 09:23)