103 地蔵ヶ鼻=廿日市市宮島口一丁目(広島県)その昔ここまで走ってきた [岬めぐり]
“安芸の宮島”といえば日本三景のひとつに数えられる古くからの名所だが、“世界遺産”なるモノがとやかくいわれるようになって、少しはツアーも増え団体客など観光客が多くなってきているのではないだろうか。前日泊まったホテルも、駐車場には7台の観光バスが駐まっていた。その人たちがバスや電車でやってきてまず降り立つのが宮島口で、宮島=厳島へは連絡船で10分ほどかかる“船旅”がまっている。これがすでに、ここを訪れる人にとってはある種のアトラクションにもなっているのかもしれない。
地蔵ヶ鼻は、宮島口の南にある岬である。といっても、今はコンクリートの護岸で埋め立てたところにホテルやマンションや保養所などが建ち並んでいるので、正確には「かつては岬があったところで、その名だけが残っているところ」というほうが正しい。
この道もどこかに通じているわけではなく、やはり途中で切れてしまった。その先には宮島航路の船が、ひっきりなしに出入りを繰り返している。宮島航路はJRと民間と(おっと、JRも民間だったね)二つの船が、交互に運航しているので、ほとんど待つことなく乗ることができる。どちらも料金も同じで乗り場・降り場も並んでいる。
観光客ばかりではなく、広島ではいちばん身近な「お出かけスポット」だったので、正月や管弦祭など、ことあるごとに宮島には渡り、厳島神社にお参りしていたものだ。でんでんむしの小さい頃の写真が三枚だけ残っている。首が据わりかけたお七夜の写真を除けば、最初の行動記録写真ともいうべきは、叔母たちと潮の引いた大鳥居の前でシカとともに撮った写真がその第一号なのである。
昔からある宮島口はJR駅前の“あなご弁当”は、全国的にもすっかり有名になって、大儲けしたらしいその店は、大野のほうで豪華な温泉旅館まで経営するようになって、そこもテレビの旅番組などでも何度も紹介され大繁盛なのだという。その成功にあやかろうとあちこちの店があなご商売を始めたので、今や宮島口は“あなご弁当”と“あなごめし”のオンパレードである。狭かった宮島口も、道は広くなり、地下道や連絡船乗り場の前にはロータリーまでできている。このロータリーは、毎年一度、テレビで大中継されるので、それができていたことは知っていた。広島で開催される全国都道府県対抗男子駅伝は、ここが中継所になっている。もともと地元の中国新聞が長年にわたり主催していた福山〜広島間(三原だった?)を走った中国駅伝というのがあってよく見物に行っていたものだが、この大会はそれが発展的に変わってできたものらしい。
そういえば…と思い出す。駅伝の選手が大規模な交通規制のもとで走るこの宮島街道を、でんでんむしも高校時代二度走った経験がある。己斐(今の西広島)からここ宮島口まで16.5キロを、全校行事で強制的に走らされるのだが、これは生涯のうちでもいい経験になった。桟橋のそばの空き地がゴールで、へとへとになって倒れ込んだ。
考えてみれば、国道二号線も当時はそんなことが可能なほどの交通量しかなかった、ということなので、現在ではとてもできる相談ではあるまい。その道に沿って走る広電の電車に乗って広島市街へ向かうが、もはや往時をしのぶよすがなどは、さらさらどこにもない。
▼国土地理院 「地理院地図」
34度18分36.12秒 132度18分17.62秒
中国地方(2007/03/26 訪問)
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