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100 聖崎=廿日市市宮島町(広島県)懐かしくも切ない香しきかほり [岬めぐり]

 聖崎という岬は、宮島の最北端である。宮島にはこれと最南端の革篭崎のふたつの岬があるだけだ。しかも、最南端の方は道がないので、舟でしか近寄れない。そもそも、島全体が原生林で覆われている神の島は、人が歩き回れるところはごく一部でしかない。
 サツマイモのような形をした島のぐるりは、平清盛の昔からもっぱら舟で行き来した(島だからあたりまえだが)ものなので、古くから安芸の宮島には“七つ浦”といわれてきた。だが、その半分くらいしか実際に行ってはいない。杉ノ浦、包ヶ浦、鷹ノ巣浦、腰細浦、樫木浦、(青海苔浦)、(養父崎浦)、(山白浦)、(長浦)、須屋浦、御床浦…と、現代の地図で数えると11にもなってしまうのだが、おそらくはかっこをつけたものは表記の文字色が異なるので、これを除いた七浦なのだろう。
 岬へ続く尾根を越える峠道にさしかかると、懐かしい香りがあたりに漂い始めた。足を止めて、しばしその香りを味わうと、遠い昔の切ない記憶までも一緒になって漂う。それは、照葉樹林の中のそこここに点在する椿や馬酔木や山ツツジや山桜などが、織りなす香りなのだ。こどもの頃の主な遊び場はそうした裏山で、縦横にかけめぐっていた。
 聖崎へも道がないので、その先端までは行けないが、その岬もこうした香りに満ちていることだろう。

 峠を下りきって牡蛎業者の建物を過ぎると、やっと聖崎が見えてくる。どうしてそういう名がついたのか、想像するしかないが、瀬戸内の波静かな海に、緑の山と花崗岩の崖と小さな島まで従えた、きれいな岬である。
 
 地元の宮島中学校の生徒たちが道路の里親となって清掃などもしていると看板がある峠道と杉ノ浦へ向かう海岸の道も、すっかりきれいに広く整備されている。その途中にも山桜の木が数本あって、花の盛りをむかえている。前にもどこかで書いた覚えがあるが、でんでんむしのこどもの頃は、桜といえばこの山桜、お花見といえばゴザと重箱を抱えて裏山の山桜の根方へ向かったものだった。

 堤防の先に臨時に係留された牡蛎筏が浮かぶ先には、広島市街から見ると、富士山のように姿よく見えるので“安芸の小富士”といわれる似島がぽっかりと浮かぶ。この島では遠泳をやったものだ。

 広島の人は、海水浴といえばだいたい宇品か、そこから焼玉エンジンの音のうるさい小さな船で、絵の島や美能がんねや似島などの広島湾内の島へ行ったものだった。宮島の包ヶ浦や杉ノ浦も、夏場は海水浴で賑わう。杉ノ浦は、そういうなかではいちばん地味で小さな海岸だった。
 中学の頃、この杉ノ浦でクラスのほぼ全員でキャンプをした。学校の正規の行事ではなく、夏休みの任意の催しで、それでも数人の先生が引率していた。いまならとても考えられないようなことらしいが、当時はそれも普通のことだった。
 砂浜にテントを張って、さあ夕食とキャンプファイヤーの準備という時に、一人の生徒が高熱をだして急病になった。それからのことは、くわしくは知らされなかったが、先生は大変だった。その子は、先生の一人に伴われて急遽広島へ帰って緊急入院したが、後遺症も残った。それから間もなくして、耳が不自由になったその子は、交通事故にあって亡くなったのだ。
 「中村君どうしたかのう」そういいながら、夜の真っ暗闇の中を、最後の連絡船で帰ってくる先生を迎えに包ヶ浦までボートを漕いだ。
 ボートの舳先に、オールの先に砕け散る波に、きらきらと光る夜光虫が、どこまでついてきた。その光景は、いまも忘れることがない。
 そのテントを張った海岸の片隅の一部は埋め立てられ、そこにも牡蛎の養殖設備のようなものができていた。

▼国土地理院 「地理院地図」
34度18分37.62秒 132度19分57.62秒
100ひじりざき-100.jpg
dendenmushi.gif中国地方(2007/03/26 再訪)

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タグ:広島県
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コメント 3

右左あんつぁん

湖のような瀬戸内の渚の香り、やはり独特のような気がします。生口島の瀬戸田に三原から連絡船で降りると、その独特な香りと日の陽射しが時を止めてしまいそうでした。
by 右左あんつぁん (2007-04-12 09:17) 

右左あんつぁん

夜光虫の想い出は呉から護衛艦で夜に出港した時です。窓のない軍艦ですから外に光が漏れるわけが無いのに闇夜に光る航跡。油を敷いたような瀬戸内の海を音もなく進む艦の、夜光虫のひかりだけが後ろに下がって行く光景は幻想以外の何物でもありませんでした。
by 右左あんつぁん (2007-04-12 09:27) 

dendenmushi

@右左あんつぁんもそうか、呉に出入りしていたんですね。軍艦のような大きな船の航跡でも、夜光虫が光って見えるのですか。それは知らなかった。
瀬戸田の耕三寺には、思い出もあります。ここは昼間でしたけど。
やっぱり、こんないいかげんな写真でも、瀬戸内海の水の穏やかできれいに透きとおっている様子は、見ていただけると思います。
by dendenmushi (2007-04-13 08:14) 

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