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078 亀ヶ崎=安房郡鋸南町大六(千葉県)見返り美人の里再び保田海岸 [岬めぐり]

 こんなところに…という表現は地元の人に対し失礼なニュアンスを与える恐れもあるが、意外性という意味を強調するために、あえて言わせてもらおう。こんなところに、二度も来るとは思ってもみなかった。保田の海岸から、亀ヶ崎を望みながら、そう思ったものだ。

 確かに、今は水仙まつりで賑わっているだろうし、夏には海水浴客も多いのだろうが、さほどに有名な観光地というわけでもないし、年中遠くからやってくるような機会がある場所ではない。だが、そういって切り捨ててしまうのは、偏見なのだ。
 なにしろ、水戸のご隠居も夏目漱石も安藤広重もやって来ているのだ。もっとも、水戸のじい様と柴又の寅さんは、日本国中歩いているらしいから、どんな所にも現われる。なんら不思議はないかも知れん。
 今回の再訪で、改めて感じたのが、ここと江戸とが意外に近く(舟で行けば)ちゃんと昔から経済圏の中に入っていて、人の往来も盛んだったということだ。そのひとつが水仙であった。水仙は昔から庶民の正月を祝うのに欠くことのできない花だった。その栽培を産業としていたのが、ここだったのだ。前回は見逃していたが、広重の絵にもそれを描いたものがあった。南房総フラワーなんたらというキャッチフレーズは、案外に歴史があるのだ。

 それは菱川師宣の記念館でみたのだが、この師宣という人はここで生まれ、ここで亡くなった。「見返り美人」が有名なのは、教科書に載っているせいもあるが、昔切手を集めていたでんでんむしにとっては、なかなか手に入らない高嶺の花の象徴でもあった。
 菱川師宣がエライと思うのは、個人技の域を超えて活躍している、ということだろう。工房をつくり、弟子を抱え、表現に量産技術を組み合わせ、浮世絵自体を庶民のためにたくさんつくり残した。
 町の施設などと一緒に埋立地に建てられた記念館は小さなもので、肝心の「見返り美人図」は東京国立博物館の所蔵なので、ここにホンモノはないのだが、師宣さんは後世に至るまでよく故郷の役に立っていて立派なものだ。記念館を中心として、亀ケ崎=保田海岸の間だけは、なんとか歩道も整備されている。これも師宣さん効果なのだろう。

 海岸の師宣さんの墓の近くになにやら墓ではない黒いモノリスのような石碑が建っている。なんじゃろかと寄ってみると、“房州海水浴発祥地”とある。へエー、いろいろあるもんだねと裏に回ってみると、谷川徹三の手になる碑文は、一高時代の漱石らがここで遊んだことが書き残されているというので、そのことを言っているらしい。この海岸の砂はきめ細かくて、気持ちよさそうだ。

 亀ヶ崎は、実は小さな島になっている。細いコンクリートの橋が架かっているものの、“私有地”とやらで、立入禁止状態。こういうの、誰が私有しているのかも明らかにすべきだね。持たぬもののひがみでいうだけなんだけど、保田の海岸には液晶テレビのCMに出てきそうなしゃれたモダンな別荘も建築中だった。
 記憶に間違いがなければあそこは確か共産主義だとかいっていたはずだが、中国だって私有財産は不可侵とすると言い出しているくらいだから、基本はそうだとしても、土地の私有制はどこかで歯止めが必要だという気がする。土地とカネが増幅する格差社会はいったいどこまで進行し、どこで飽和点に達し、調和が破壊され爆裂することになるのだろう。
 いつか、来た道を見返り、そうだったのだ…と振り返ってみるようなことがあるのだろうか。

▼国土地理院 「地理院地図」
35度7分26.39秒 139度49分53.00秒
78かめがさき-78.jpg
dendenmushi.gif関東地方(2007/01/27 再訪)

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タグ:千葉県
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コメント 4

knaito57

小学5年の臨海学校がこの保田──「10メートル泳げたら5級」ということで、校長先生まで手を貸してくれたけれどついに私はダメ。翌年は早雲山の林間学校にしました。人生最初の挫折です。水仙の歴史はなるほど、たしかに時代小説で房総が身近に扱われるのは水路では近かったから。「見返り美人」の切手、羨望でしたね。「ビードロを吹く女」なんてのもあったような──忌まわしくも懐かしい記憶です。
by knaito57 (2007-02-06 09:55) 

dendenmushi

@そうですか。保田にそんな思い出があったとはね。しかし、小学生の分際でこんなとこまで臨海学校なんて、さすが東京のおぼっちゃまは違いますね。わたしらなにがあってどこへ行っただろう。
切手趣味週間の切手として、「月と雁」と並ぶ高嶺の花でした。このあと「ビードロを吹く女」を経て「東洲斎写楽」の大首絵から飛躍的に発行枚数を増やして、切手ブームが拡大して巻き起こるのです。
by dendenmushi (2007-02-07 07:37) 

保田という地名は遠い昔聞いたことがあります、
疎開して母が住んでいた土地、忘れ去りたい思い出のあるところ・・・
その風景を目にして複雑な気持ちです、高齢の母90歳です。
by (2007-03-19 20:38) 

dendenmushi

@ウサコさん、忘れ去りたい思い出(それはお母さんの、でしょうね)を、掘り起こしてしまったでしょうか。
人にはそれぞれいろんなところにいろんな思い出があるものですね。「疎開」かあ。そうですねえ…。
by dendenmushi (2007-03-20 07:52) 

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