077 大長崎=安房郡鋸南町勝山(千葉県)頼朝さんねえ人格を疑われますよ [岬めぐり]
鋸南町は、JR内房線では保田と安房勝山の二つの駅をもっている小さな町だが、観光にも力を入れているらしい。前に来たときは季節は秋で、ほとんど人の気配がしない静かな町だったような気がするが、保田(“やすだ”とかいってたそこのおじさん、これは「ほた」と読みます)の駅でもぞろぞろとリュックなど下げたおじさんやおばさんが降りていく。最初はなんだろうと不思議に思ったが、勝山の駅に降りてわかった。“水仙まつり”の最中だったのだ。
大長崎という岬は、立派に地図上で表記してあるので、ここにカウントしたが、実際にはこれは勝山漁港の岸壁の一部になっている。それぞれになんらかのいきさつがあってそうなっているのだろうが、ここには大黒山という港とその前に浮かぶ浮島と傾城島を望む山があってその下の岬のほうがよほど岬らしくみえるのに、こちらには名前もついていない。
前に真鶴岬のところでも書いた頼朝と七人の侍が房総へ落ちのびるときに、真鶴から三浦半島の先端城ヶ島をかすめてまっすぐ東へ線を引くと、この勝山の海岸に至る。頼朝一行はまさしくそのようにして、ここに逃げ落ちた。そのときのことを伝えるエピソードがここには残っている。
・エピソード1 頼朝が上陸しようとしたとき、サザエを踏んづけてしまった。痛さに怒った頼朝は「サザエのツノなどなくなってしまえ!」といった。以来、勝山竜島周辺のサザエにはツノがない。
・エピソード2 そんな頼朝を村の人々は大いに歓待した。喜んだ頼朝は「わしが天下を取った暁には安房一国を与えよう」といった。ところがこれを“粟一石”と勘違いした村人は「そんなもんより姓をください」という。頼朝は「そうか。ばかだなあ」という。村の人々はそれがくれた姓だと思ったので、この辺りには“左右加”、“馬賀”という姓が多い。
“ほんまでっかいな”というような話で、頼朝さんの人格を大いに疑ってしまうが、この話どちらも保田の菱川師宣記念館のトイレに、あんまり教育的な話でもないがこども向けの表記で貼ってありましたで。
その頼朝上陸地点の記念碑の前には、こんな人たちが…。これはまたなんでしょうね。あんまり風が強いので、風よけになりそうな場所を探したのでしょうが、それにしてもねえ。
勝山の駅前には立派な観光案内所があって、前回もそうしたのだがここでレンタサイクルを借りて回るのがよい。水仙は山のほうなので、自転車は向かない。へそまがりなでんでんむしは、おじさんおばさんが群をなすようなところにはなるべく行きたくないので、これでいいのだ。
あ、そうそう。電話ボックスの電話帳で確かめてみましたけど、鋸南町には“左右加”さんは0軒、“馬賀”さんは1軒ありました。
▼国土地理院 「地理院地図」
35度6分33.19秒 139度49分33.68秒関東地方(2007/01/27 再訪)
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