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1928☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]

 私たちはどこから来て、どこへ行くのか? 
 これは、過去からこれまでの人類の永遠の疑問のように思えます。人びとは、この疑問に解を見出そうと、叡智を絞ってきました。
 その結果、宗教が生まれ、哲学が発達し、さまざまな歴史が記され、宇宙や地球の謎が解かれてきました。人類が築いた学問体系とは、結局は、冒頭の疑問に取り組んできた成果なのだと思います。(池上 彰『おとなの教養 私たちはどこから来て、どこへ行くのか?』序章冒頭 NHK出版新書 2014/04 刊)
 
❖年表ネタ元主な参考資料:三省堂『コンサイス世界年表』三省堂編修所編。河出書房新社『昭和・平成 家庭史年表』下川耿央・家庭総合研究会編。小学館『昭和・平成 現代史年表』神田文人編など。

1928mark.jpg昭和3年 戊辰(つちのえたつ)
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◯ハバナの汎アメリカ会議で、米は内政不干渉決議に反対。
◯英、トランスヨルダンの独立を承認。
◯伊のファシスト義勇団を正規軍に編入。
◯ソ連が土地私有禁止法を制定。コルホーズ化推進へ。
◯伊、普通選挙を廃止しファシスト大評議会作成の名簿による投票へ。
◯伊・トルコと不可侵条約、エチオピア・ギリシャと友好条約。
◯パリ不戦条約調印(米英仏日を含む15か国が署名)。日本では「人民の名に於て」の字句が政治問題化。
◯ソ連、第一次五か年計画開始。
◯伊、ファシスト独裁法を国会が承認。ファシスト党の独裁体制固まる。
◯ノルウエーの探検家アムンゼンが北極で遭難死。
◯トルコ、イスラムを国教とする規定を憲法から削除。文字革命(アラビア文字からローマ文字へ)。
◯ミッキーマウスが初登場。アニメーション映画『蒸気船ウィリー』公開。

◯蒋介石が革命軍総司令に復職。北伐を再開。
◯朱徳、陳毅らの紅軍が井岡山の毛沢東に合流。紅軍第四軍の編成。直隷・華南で南北両軍70万が対峙。
◯北伐軍が日本軍と衝突。日本軍が済南を占領。
◯張作霖奉天引き上げの列車が、関東軍によって爆破され死亡。
◯北伐軍、北京入城。
◯張学良が東三省保安総司令に就任、北伐軍と講和。
◯蒋介石が三民主義の採用を指示。国民政府主席に就任。
◯張学良が国民政府への合流を表明、国民党による全国統一へ。

◉政府与党の政友会が、民政党の内閣不信任決議に衆院解散で対抗。
◉香川県で大山郁夫(労農党)の選挙活動を大弾圧して妨害。
◉内相鈴木喜三郎が、投票日前日に政党内閣。議会中心主義は国体に反すると声明。
◉初の普通選挙による総選挙の結果、政府与党の政友会は過半数に達せず。
◉日本共産党に対する全国一斉大検挙(3.15事件)。検挙者1600人、起訴484人。
◉台北帝国大学の設置。
◉治安警察法により労働農民党・日本労働組合評議会・全日本無産青年同盟に対し解散命令。
◉労農党再建新党準備会にも即日解散命令。
◉東大新人会など各大学の社研に解散を命じる。
◉京大教授河上肇の辞職についで、東大大森義太郎、九大石浜知行らが大学を追われる。
◉閣議で第二次山東出兵を決定。
◉張作霖に満州への引き上げを勧告。満州治安維持について南北両政府に通告。
◉関東軍河本参謀らによる張作霖爆殺事件(満洲某重大事件)。
◉緊急勅令で治安維持法改正公布施行(死刑・無期刑を追加)。
◉内務省、全府県警察部に特別高等警察設置。
◉憲兵隊に思想係をおく。
◉林奉天領事が張学良の東三省における青天白日旗掲揚に反対を通告。国民政府が日華通商条約破棄を通告。

・この年に亡くなった人にはこんな人も…。九条武子。大倉喜八郎。野口英世。佐伯祐三。若山牧水。小山内薫。広津柳浪。張作霖。ロアール・アムンセン。ヘンドリック・ローレンツ。

◎日本共産党中央機関紙「赤旗」創刊。
◎日本商工会議所の設立。
◎昭和天皇の即位の礼挙行。
◎山東出兵の第3師団で初の鉄カブトを実戦使用。
◎ラジオ体操の放送を開始。この年、NHKがラジオ全国放送。
◎大相撲のラジオ実況放送開始。
◎浜松高商の高柳健次郎教授が、世界初となるブラウン管使用のテレビ放送の公開実験を行ない成功。(写ったのは「イ」の文字)
◎西アフリカで黄熱病研究中の野口英世(52歳)、罹患して死亡。
◎南米移民が急増(1万7000人に)。不況で生活に困窮した人々が新天地を求めた。
◎関東大震災からの復興事業計画の一環で進められてきた、隅田川の六大橋(相生・言問・駒形・蔵前・清洲・永代)がすべて完成し、世界水準の橋梁技術の高さを証明。
◎第9回アムステルダム五輪で日本選手が初めて優勝(三段跳び織田幹雄・200m平泳ぎ鶴田義行)。人見絹枝は800mで銀。

◎北海道に二度に渡って暴風雪、死者行方不明者129人。
◎金沢市、木曽福島町で大火。
◎有明海に台風襲来で高潮。死者行方不明者439人。
◎高知桂浜に坂本龍馬の銅像(青年有志による)建設。
◎東京神田の巖松堂で、丁稚奉公制度に反対する少年店員42人がスト。要求内容は、殴らない・名前に“どん”をつけない・寄宿舎は一人一畳から二畳にすること、など。
◎花王石鹸が初の人造食用油脂「エコナ」を発売。
◎横浜崎陽軒がシュウマイ折り箱を50銭で発売。
◎京都比叡山にわが国初の空中ケーブル完成。
◎河合楽器がグランドピアノ第1号を完成。
◎キリンレモンの販売開始。
◎東京府立第一高女の教諭が「洗濯の仕方」を刊行。近代的洗濯の普及に貢献。
◎折りたたみ式の“ちゃぶ台”が、広く一般家庭に普及する。
◎松竹少女歌劇(SSK)設立。水の江滝子らが参加。
◎曾我廼家十吾、渋谷天外らが大阪角座で松竹家庭劇旗揚げ公演。(松竹新喜劇)
◎神奈川県逗子開成学園に振武隊(音楽隊)。全国中学のブラスバンドの草分け。
◎林芙美子『放浪記』発表。

■流 行:各地で博覧会・ラッパズボン・おカマ帽子
■映 画:結婚二重奏・十字路・浪人街・陸の王者
■ 本 :高浜虚子/虚子句集・河上肇/資本論入門・佐藤紅緑/ああ玉杯に花うけて
■ 歌 :出船・波浮の港・君恋し
■ことば:人民の名において・狭いながらも楽しい我が家・マネキンガール・ハンドバッグ・ママさん

dendenmushi.gif(2014/08/20 でんでんむし蛇足の記)
 アメリカはここ数年にわたって、中南米への軍事介入を熱心に続けていたが、あからさま過ぎる。身勝手なアメリカは、いまも変わらないようだが…。
 わけのわからない中国大陸での動きを、できるだけ追ってみた。張作霖爆殺という暴挙に出た関東軍のおかげで、いよいよ泥沼の日中戦争に嵌り込んでいくことになるのがこの年である。
 政治が制御不能になっていくその入口で、日本の政府もまたあからさまな反対勢力の弾圧に乗り出す。閣議で第二次山東出兵を決定、というのも、なにやら昨今問題の閣議決定と重なってしまう。
 ラジオが家庭のなかで大きな役割をもつようになる、その始まりでもあるこの年、でんでんむしが注目したのは、神田の“丁稚どん”のスト、南米移民の増加、ちゃぶ台の普及である。
 とくにちゃぶ台。これが登場するまでは、食事は個人別々のお膳で、すべてに身分や立場によって差がついていた、ということだ。丸いちゃぶ台は一家5人が囲めば膝がくっつきあうくらい小さいものだった。使わない時は足を畳んで、茶の間の隅に立てかけておく。これをひっくり返すのが流行るのは、ずっと後のことで、ちゃぶ台こそは一家団欒・円満の象徴。
 でんでんむしの幼少期にある記憶では、生家にあったちゃぶ台は、真ん中に四角く穴があって、使わない時は蓋ができるようになっていたので普通のより一回り大きかった。その穴に七輪を入れて鍋などができるわけだが、でんでんむしはその四角い穴に入って遊んでいた。
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タグ:年表
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