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1921☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]

 われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか…。この言葉を本のタイトルにしているのが、関野吉晴さんである。『グレートジャーニー全記録』(毎日新聞社、2006年刊)では、①移動編 我々は何処から来たのか/②寄り道編 我々は何処に行くのか、としているが、これもその冒険の壮途へのはなむけにもまとめにもぴったりなのだろう。
 また、ゴーギャンの絵を使っているのはNHKで、連続して流していた『シリーズ世界遺産100』のタイトルに使っていた。個人的には、これと世界遺産を結びつけるのは、ツー・クッションぐらい必要なようにも思うが、まあそれもありなのだろう。
 でんでんむしが、この言葉に行き着いたのはずっと昔のことで、なんで啓発されたのかもよく覚えていない。だが、その興味の持続する延長線上に、歴史があり、生物学があり、考古学があり、地質学があり、天文学があり、そして
SFがあったのである。
 年表ほど具体的にその一面を捉えて展開してくれるものは、ほかにないようにも思うのだが…。

1921mark.jpg大正10年 辛酉(かのととり)
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◯仏・ポーランド防御同盟を締結。
◯ソ・ペルシャと友好条約を締結。
◯ポーランド・ルーマニアが攻守同盟条約締結。
◯英・ソ通商条約調印。
◯ルーマニア・チェコ同盟条約締結。
◯ロンドンで連合国最高会議開催。対ドイツ賠償の総額が1320億金マルクに決定。
◯独・ソ通商条約締結。
◯アイルランド議会設置を宣言。
◯ルーマニア・ユーゴ同盟条約締結。
◯独、ヒトラーがナチス党首に就任。
◯米、オーストリアと講和条約締結。
◯米・独講和条約調印。
◯伊ローマでファシスト党全国大会。
◯ワシントン軍縮会議開催。日・米・英・仏の四か国条約が調印される。(これにより日英同盟が廃棄される。)
◯英・アイルランド自治法。北部を除きイギリス自治領承認。
◯ソ・アフガニスタン友好条約締結。
◯トルコのケマル・アタチュルクの国民軍がギリシャ軍を破る。
◯孫文が広東新政府の非常大総統に就任。
◯広東政府が北伐軍を編成。英・中間で厦門事件。
◯山東問題で日・中が直接交渉。
◯アフガニスタン・ペルシャ不可侵条約。
◯イラク王国、ヨルダン王国が成立。
◯独ベルリンに10キロの世界初のハイウエイ。

◉貴族院で憲政会加藤総裁がシベリア撤兵を主張。
◉大本教幹部が不敬罪で一斉検挙される。
◉皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)が約半年のヨーロッパ歴訪に出発。
◉国有財産法・借地法・借家法公布・米穀法・メートル法公布。
◉旧区制廃止、旧区に該当していた県庁所在自治体などが市制施行。
◉尾崎行雄・吉野作造らが軍備縮小同志会を結成。
◉原敬首相が東京駅で暗殺される。(原敬内閣総辞職)
◉皇太子裕仁親王が摂政に就任。

・この年に亡くなった人にはこんな人も…。原敬。安田善次郎。サン・サーンス。クロポトキン。ジョン・ボイド・ダンロップ。

◎宮内省“皇太子妃の婚約に変更なし”と発表。(宮中某重大事件の決着)
◎天皇病状悪化の発表で、株式、錦糸、米穀相場が下落。
◎三菱電機、丸紅商店、小松製作所、日露漁業、大塚製薬工場、蛇の目ミシン、の設立。
◎神戸三菱・川崎の2つの造船所で職工3万人のストライキ。軍隊出動。
◎足尾銅山で争議。
◎岡山県児島郡で小作争議。
◎各地で借家争議が続発。(借家人同盟ができる)

◎山岡発動機(ヤンマー)が農業用の石油発動機を発売。
◎シャチハタが「万年スタンプ台」を発売。
◎石橋徳次郎・正二郎兄弟が、地下足袋を発売。
◎松下電器器具製作所が「二灯式差し込みプラグ」発売。(二股ソケット第1号)
◎丹那トンネルで崩壊事故。33人埋没、16人死亡、17人救助。
◎紀伊半島に台風上陸、名古屋で5474戸が全壊、死者不明者が500人を超える。富山県では漁夫900人遭難。
◎羽仁もと子が自由学園を創設。
◎東京銀座の車道拡幅工事で柳並木伐採、木煉瓦敷に。
◎大阪天王寺に通天閣を中心とする新世界ルナパーク開園。

◎東京浅草にマルベル堂開店。(東京には10軒のブロマイド屋があり、1枚10銭)
◎チャップリン映画『キッド』日本公開。
◎西田幾太郎『善の研究』が岩波書店から再刊されベストセラーに。
◎志賀直哉『暗夜行路』改造に連載。
◎倉田百三『愛と認識との出発』。
◎魯迅『阿Q正伝』。
◎流行歌:船頭小唄・枯れすすき・流浪の旅。童謡:めえめえ小山羊・どんぐりころころ・七つの子・赤い靴・てるてる坊主・青い目の人形・赤とんぼなど。

dendenmushi.gif(2014/08/06 でんでんむし蛇足の記)
 東欧のめまぐるしい戦後処理がまだ続き、講和や安保条約のようなものが結ばれている。ドイツでは、ヒトラーのナチス党が台頭してくる。
 この年、昭和天皇が皇太子時代に欧州各国訪問旅行があった。これはご本人が自ら述懐しておられたと思うが、非常に意義深いものだったようだ。
 今も歌い継がれている童謡の古典的作品の代表的なものが、この頃に立て続けに発表されている。
 でんでんむしの広島の生家は原爆で焼けているので、ほとんどの記録が残っていない。いつからいつまでかがはっきりしないのだが、この頃の数年に渡って、祖父はまだ幼い父を連れて朝鮮の京城にいて、建設関係の仕事をしていたようだ。
 きっと、石橋兄弟のつくった地下足袋なんかを履いて…。懸命に働いていたのだろうと思う。そして、広島の曽祖父に仕送りをしていたのではないかと…。
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タグ:年表
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