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1906☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]

 われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか…。ここのところ、毎回冒頭にこの言葉を掲げている。あちこちで使われていて有名なフレーズになっているが、でんでんむしの長年にわたるテーマでもある。

1906mark.jpg明治39年 丙午(ひのえうま)
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◯マハトマ・ガンディーが南アフリカで非暴力の抵抗運動を組織。
◯米加州が日本人移民の制限決議。サンフランシスコ市が日本人学童の隔離を命令。
◯清が日本への留学生の派遣を制限後、これを停止。
◯フィンランドで婦人参政権を憲法で定める(欧州初)。
◯米軍がキューバを占領。
サンフランシスコで大地震。(日本でもこれを契機に防火シャッターや鉄筋コンクリートへの認識が広まる)
◯ルーズベルトが日露和平に貢献とノーベル平和賞受賞。(アメリカ人のノーベル賞初)
◯ノルウェーの探検家アムンゼンが、初の北極北西航路横断。
◯米で初のラジオ放送に成功。
◯独皇帝が独仏開戦に備えて自動車を装甲車に改良。

◉日本社会党の結成。
◉奉天入城日を陸軍記念日に。海軍は日本海海戦日を海軍記念日に。
◉韓国統監府が開庁。総監伊藤博文が着任。保安規則を公布。
◉元老閣僚会議で満州問題を協議。
◉在韓日本軍が崔益鉉らの排日暴動を鎮圧(以降抗日挙兵続く)
◉京釜・京仁鉄道を買収、韓国総督府の管理下に
◉旅順に関東都督府をおく
◉呉海軍工廠のストライキ暴徒化
◉小石川砲兵工廠でもストライキ
◉大阪砲兵工廠でもストライキ
◉日本国有鉄道法成立。
◉南満州鉄道設立
◉青山練兵場で征露凱旋陸軍大観兵式。
◉陸軍が38式歩兵銃と騎兵銃を制定。太平洋戦争集結までこれが陸軍の主兵器となる。
・この年に亡くなった人にはこんな人も…。イプセン。ピエール・キュリー。セザンヌ。

◎日露戦争凱旋記念切手・絵葉書の発売に大勢が押しかけて気絶者も出てガラスが割れる大混雑。(切手は青切手が1銭5厘、赤切手が3銭。この頃、絵葉書も各所で大ブーム。)
◎東海道本線で最急行を設定(急行料金を初めて徴収)。
◎日本海底電信開始。
◎私鉄各社の国有化。樺太鉄道全通。
◎東京地下電気鉄道会社と東京鉄道設立。
◎東北の凶作、窮民約35万人
◎全国の銀行は2245行。
◎新潟、静岡、大阪で乗合自動車が営業するも苦戦し撤退続く。(バス路線は最初から苦労していた)
◎台風が九州・山口を襲い、死者1500人。
◎台湾で大地震、死者1100人。
◎福島の平、山形北俣村、新潟直江津町、横浜根岸で大火。
◎長崎県三菱高島炭鉱でガス爆発。死者332人。
◎博多ガス会社開業。600戸点火。
◎埼玉県熊谷町、浦和町、神奈川県保土ヶ谷町に電気点灯。
◎甲府、鹿児島、長野、金沢、富山で電話開通。
◎日露戦争で新設の缶詰工場は三分の一が閉鎖。また、多数の未亡人の自活が問題となる。遺族の孤児のために帝国愛育院設立。
◎新宿御苑開苑式(前は宮内省の植物御苑)
◎新聞の読売り(立売り)増加。
◎鈴木久五郎が戦後の鐘紡株の値上がりで巨万の富を得、“成金”の語が生まれる。
◎丙午で女子の出生届が減少。

◎川崎市多摩川河口に横浜製糖(明治製糖)が工場を開設し、これが京浜工業地帯の始まり。
◎東京有楽町にシンガーミシン裁縫女学校開設。
◎共立女子職業学校がタイプライチング講習科を開設。
◎安藤兼三郎、ナショナル金銭登録器を輸入販売。
◎蟹江一太郎が愛知県でトマトソースの本格生産開始。(現カゴメ)
◎五十嵐健治、日本橋で白洋舍創業。
◎大日本麦酒会社設立(札幌麦酒・日本麦酒・大阪麦酒が合併)。
◎大阪で美津濃運動用品が創業。
◎東京帝大教授の弘田長、シッカロールを開発、和光堂を創業。
◎大隈重信がアメリカから買い入れた自動車に試乗。
◎北海道への移住農民が激増。5万人を超える。
◎名士の間で平塚や大磯での避暑が流行。大磯署管内の避暑客は4200人を超える。

◎エスペラント語が流行。
◎ゴールデンバット販売開始。(4銭と敷島の半値)
◎岡倉天心 The Book of Tea『茶の本』を刊行。
◎夏目漱石『坊っちゃん』『草枕』を発表。
◎島崎藤村『破戒』(自費出版だった)。
◎伊藤左千夫『野菊の墓』が若者に人気。
◎坪内逍遥、島村抱月らが日本文芸協会設立。
◎天然色活動写真公開。
◎松の声、チャカホイ節、バイオリンの演歌伴奏など。

dendenmushi.gif(2014/07/05 でんでんむし蛇足の記)
 日露戦勝利の余韻がまだ続いているなかで、戦争の残した傷跡も明らかになる。朝鮮半島では、韓国統監府が機能し始めるが、同時に抗日の活動も盛んになる。そのうえ、日本国内もストライキに災害に事故、東北の凶作などと社会もまだまだ不安定要素をはらんでいた様子がうかがえる。
 その一方で、京浜工業地帯の第一歩となる工場が稼働したり、現在のわれわれがよく知っている商品や企業が創業している。
 鉄道の整備が急ピッチで進み、東京からは鉄道馬車がなくなる。全国各地で始まった乗合自動車(バス)は、なかなか経営に苦しんでいる。自動車は、やっと顔見世に登場するところだ。
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タグ:年表
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