1007 金田崎=厚岸郡厚岸町ホロニタイ(北海道)厚岸湾からつながる厚岸湖はカキが有名だがラムサールの湿原もある [岬めぐり]
最近ではとんとお目にかからなくなった“FEP”とか“IME”の用語も、それを意識する必要がないくらい環境が整ってきた、ということだろうか。いや、そんな話をしたいわけではなく、ただローマ字入力では「atukesi」や「atsukeshi」でも「akkesi」でもちゃんと「厚岸」が出てくる。
だが、ここの正式な読み方は「あっけし akkeshi」だ。
例によってアイヌ語源だが、町のホームページではアイヌ語の「アッケウシイ(アツ=オヒョウニレの樹皮、ケ=はがし、ウシ=いつもする、イ=所)」の意であるとしている。オヒョウニレがどんな樹木なのかも知らないが、この町の歴史も、なかなか縄文時代にまで遡れて奥が深そうだ。北海道に縄文時代?と、いつも意外に思うのだが、古代は今ほどの寒冷地ではなかったのだろうか。
この町の歴史については、「厚岸町歴史物語~明日はいつも、海からやってきた。~」というページ が設けられて、詳しく語られているので、それはそちらにゆだねることにしよう。
人口10,376人で4,497世帯(平成25年8月末現在)だから、厚岸町は西隣の釧路町の約半分くらいの規模になるが、高齢者比率はだいぶこちらのほうが高いようだ。
アッケシ場所が松前藩によって開かれたのは、寛永年間(1624〜1643)の頃で、後には蝦夷三官寺のひとつである国泰寺がおかれるなど、道東の開拓史のなかでは重要拠点となってきた。
なかでも、厚岸湾が天然の良港となって多くの船を迎え入れ、厚岸湖が産するカキなどの海の幸が、この地域を豊かに支えてきたのだろうと想像できる。
遠くからふらりとこの地にやってくるわれわれは、まずこの地形に魅せられる。右手で人差し指と親指の先を合わせて輪をつくり、指の先をちょっとだけ離してみる。それでできた輪っかが厚岸湖で、その右奥のぽこんとしたあまり目立たない膨らみが金田崎。
そして、人差し指の先がJR厚岸駅、人差し指と親指の隙間にかかるのが厚岸大橋、親指の先外側が厚岸漁港となる。駅から大橋までは1キロ以上離れているが、金田崎への交通手段もないので、これは橋から眺めるつもりでいた。ところが、前の項で書いたように、どこからも霧でさっぱりみることができなかったのである。
そこで、根室から釧路へ帰る途中の根室本線の車内から…。こういう岬は、正面から見たのでは岬かどうか、判然としない。だから、むしろ大橋からよりも、厚岸湖の北西部でその湖岸を走る列車から、横目に見るほうがよかったのだ。が、やはりちょっと遠い。
|
厚岸湖に注ぐまでの間の、そう大規模な湿原ではないが、別寒辺牛湿原も厚岸湖とともに1993(平成5)年にラムサール条約の登録湿地に認定されているのだ。
|
|
少年の頃『ラジオ歌謡』で聞いたのが、『夏の思い出』(中田喜直:作曲)。「夏が来れば思い出す…」という印象的な出だし、あの歌が流れたのは、1949(昭和24)年からのことだった。その江間章子の詞によって、初めて知り空想の世界だけで馴染んできた「尾瀬」も、いまだに遙かなままでその空も遠いままである。
|
|
そんな有名どころばかりでなく、山の中の小さな凹みに展開する湿地や池塘や湖沼、河口や海辺の礁湖も、みんな好きだ。
デンデンムシだから単にジメジメしたとこがスキなだけなんじゃないのか?…って。おっと、それはシツゲンでしょう…。
脱線しかけたJR北海道。レール幅も点検して車両を軌道を戻すと、別寒辺牛湿原が終わり、河口にさしかかったところで、金田崎とおぼしき出っ張りがようやく遠くに顔を出してくる。
金田崎は、標高37.5メートルの小さな盛り上がりが、ふたつ並んでいるようなところだ。地図で見ると、その周囲は原野と山林が続き、山の中を回る道からも遠く離れていて人家もなさそうだ。金田崎の東向こうにもやはり湿原が広がっている。国土地理院の地図では、そこが緑色に塗られていて、その範囲は結構広い。だが、道もなく観光のためのルートも施設もないようなので、誰も立入できないのだろう。
厚岸湖の牡蛎島は、この写真ではよくわからない。
▼国土地理院 電子国土ポータル(Web.NEXT)
43.056776, 144.928876
北海道地方(2013/09/06訪問)
タグ:北海道
コメント 0