978 琵琶崎=本吉郡南三陸町歌津(宮城県)公共交通機関で日本全国沿岸の岬をめぐるというのは存外にむずかしい [岬めぐり]
ときおり、ぶちぶちと言い訳めいたことを書いているが、公共交通機関で日本全国沿岸の岬をめぐるというのは、存外にむずかしい。自家用車やレンタカーでころころ回るほうが、はるかに簡単である。というのも、その計画自体が外的要因に左右されるため、なかなか思ったようにうまくいかないことも多いからで、今回もいくつか失敗があったが、この琵琶崎とこの後の岬も、はっきり言えば失敗であった。
やはり、一度ではうまくいかず、二度三度と行ってどうにか…ということであろうか。
ほかに誰も乗客がいないBRTバスを、清水浜駅前で降りなくとも、琵琶崎は乗ったまま車窓から見えるのではないか。それに、もし万一見えなかったとしても、歌津の長須賀の海岸からなら見えるだろうと思った。“当てごととなんとかは向こうからはずれる”という諺があるが、これがまったくの大はずれ。
計画をもっとゆったりとって、清水浜で降りるとか、1時間待って2時間かけても韮浜経由で寄木へ行く町民バスを選んだほうが、寄木から弁天崎も小名崎もちゃんと確認できてよかったということになるが、それもいわば結果論である。
「でんでんむしの岬めぐり」は、常にそうした公共交通機関のダイヤと、連絡つながりを考えた計画と、そしてその目算違いと、いくつかある選択肢の選び方など、複雑な要素の組み合わせによって、ひと筋の結果がうまれてくるわけで、まあそれを楽しんでいるとも言えるのだ。
これは、車で効率的にさっと回ったのでは得られないおもしろさで…てなことまでいうと、引かれ者の小唄のように聞こえてしまうから、これ以上はやめておくのがよかろう。
BRTのバスが、清水浜駅があった場所に近づいていくと、気仙沼線の線路だったらしい橋のようになったところが現れる。桜川に架かっていた鉄橋の付近が落ちたところだろうか。
琵琶崎という名前は、韮の浜の南に飛び出た岬の地形、それも側面と平面の両方からついた名であろう。
目算では、この先で琵琶崎が見えるはずだったのだが、見えたのはほんの一瞬で、カメラに捉えられたのは、手前の出っ張りの陰に隠れている端っこだけで、琵琶のような姿はなかった。
右手のは荒砥崎の北にある無名の岬で、島は野島である。琵琶崎が抱え込んでいる入江にはふたつの浜がある。そのひとつに寄っただけで、国道45号線はまた山の中へ入っていき、伊里前(いさとまえ)川を渡って歌津駅前に着く。
清水浜は、1895(明治28)年に町制を施行した旧志津川町で、琵琶崎は1959(昭和34)年に村から町制に移行した旧歌津町になる。旧歌津村は、志津川が町になる6年前の1889(明治22)年に、村ができたばかりだった。
この歌津と志津川が合併したのが南三陸町なのだが、歌津の中心は歌津駅前から伊里前湾奥の伊里前漁港まで続く集落であった。
雨が降っていた。BRTに乗る前から、いまにも降り出しそうだったのが、ついに歌津で降りるときには本格的になっていた。
ここでタクシーを呼んで、歌津の半島の北の端まで行き、帰りは町民バスに乗れたので、その往復で通った長須賀の海岸から西を眺めたところを、いちおう琵琶崎の項としてあげておくことにしよう。これも遠くて雨に煙ってさっぱりなのだが…。
リアス式海岸の地形的な特性から津波の影響を受けやすく、近世以前においては平安前期の貞観地震(869年)にともなう大津波など、近代以降では、1896年(明治29年)の明治三陸大津波、1933年(昭和8年)の昭和三陸大津波、1960年(昭和35年)のチリ地震津波によって大きな被害を受けている。そのため、沿岸部には、防波堤や防潮堤、水門などが設置されている。しかし2011年(平成23年)、東北地方太平洋沖地震によって被災し(東日本大震災)、特に大津波による被害は甚大となった。この地殻変動は先の貞観地震以来1141年余りを経て繰り返された現象と見なされている。
また、この地殻変動によって当地域内の志津川地区の地盤は、水平方向に442cm、垂直方向にマイナス75.27cm移動したことが、GPS(全地球測位システム)を用いた国土地理院測地観測センターによる分析の結果、明らかとなった。 ( http://ja.wikipedia.org/wiki/南三陸町 より)
▼国土地理院 電子国土ポータル(Web.NEXT)
38.685674, 141.510253
東北地方(2013/07/03訪問)
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