977 荒砥崎=本吉郡南三陸町志津川(宮城県)大森崎から2.6キロの東に飛び出ている岬も津波をかぶったはず [岬めぐり]
「荒砥」というのは、本来日本刀の整形や荒研ぎに用いられる砥石やその行為をいうらしい。日本刀の研磨からしてかなり特殊なもののようだが、それらとこの岬の名前が関係あるのかないのかもわからない。
ここでは、その「荒砥」が、岬だけでなく集落の名にもなっている。だから、もしあるとすれば岬にではなく集落のほうにあるのかもしれないが、そういう情報は発見できなかった。
遠目に見る荒砥崎は、これといって特徴も定かでなく、最高点が30メートルちょっとのただ黒く見えるだけだが、ここは一面樹木が生い茂った岩に囲まれた出っ張りである。西海岸に少しだけ護岸のようなものがある以外は、人の気配もない。
先端部には岩場があるが、そのさらに向こうに見えるのは、そこからさらに1.5キロ東にある野島の島と岩とぼそぼそとある木のシルエットである。
小さな凹みを利用した漁港と人家の寄り合う姿は、大森崎の上からでは見ることができない。伏房崎と荒砥崎に挟まれたところの被災後の様子を、前述の電子国土の写真でみると、ここでも漁港の周辺や谷筋のかなり奥まで薄茶色の泥で覆われたようになっていた。こういった状況が、三陸沿岸一帯に選ぶところなく広範囲にわたっていたわけだ。当然、岬の凸も入江や集落の凹もどこも津波に襲われた。
大森崎の上から、伏房崎と荒砥崎を確認したところで、また荷物を担いで広い道路の坂道を上り、ベイサイドアリーナに引き返す。
ガラス張りのアリーナの建物周辺でも、なにやら修復作業が進んでいたようだが、トイレを拝借するため、そのなかに入ってみた。広場のボランティアセンターの前にも仮設トイレが並んでいたが、できれば仮設でないほうがなにかとありがたい。
すると、そのエントランスに震災津波の写真(津波が来る前と後の写真)やこどもたちの詩などが掲示されていた。
アリーナの前にある保育所も、この周辺に仕事場が移ってしまった家族のために開かれたものだろう。その建物の横にまるで表札看板のように立てられているのが「清水浜」という駅名標識である。JR気仙沼線の清水浜駅は、荒砥崎の北方、直線距離で2キロのところにある。
南三陸町のうち、志津川地区にある二つ目の駅が清水浜駅なのだが、志津川駅ではなく、なぜ清水浜駅の看板が、ここにあるのかは不明である。
保育所の下に、町民バスの乗り場とは階段をはさんで隣り合っている、赤い看板のあるところがJR気仙沼線の代替運行線であるBRTの停留所だ。だいたいどこでもこれと同じつくりになっているが、中央ガラス戸の中がベンチのある待合所になっている。
志津川駅前の停留所もあるが、先に「975 大森崎」のところで述べたように、その周辺にはなにもなくってしまった。そのためBRTの駅も形ばかりあるにはあるが、実質的には志津川ではここがメインの停留所になる。それに付随して、町民バスの連絡ターミナルも役場が移ってきたここになっている。
BRTバスを待っているところへ、ホテル観洋の「語り部バス」がやってきた。大型のバスは後部に少し空席があるが、結構多くの人が乗っていて、ホテルスタッフがやるというガイドの説明を聞きながら周囲を見渡していた。そのバスは、停車することなくアリーナと役場の前を通り抜けて行った。
すると、今度は中型の観光バスが役場の横に停まると、ファイルのようなものを抱えたどこかから視察にきたらしい一団が降りてきて、ぞろぞろと役場の中に入って行った。
約1時間に1本あるBRTバスを待って乗り込むと、赤いバスはアリーナ北側の住宅地の横を北に向かい、国道45線に入って山の中を次の清水浜駅前の停留所に向かう。ここはJR気仙沼線では、2キロ以上ある志津川トンネルで越えていたところだ。
▼国土地理院 電子国土ポータル(Web.NEXT)
38.674082, 141.493283
東北地方(2013/07/03訪問)
2013-07-23 00:00
きた!みた!印(28)
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