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936 大入崎=玉野市番田(岡山県)この岬の上にも縄文遺跡や古墳があるっていうのがホントならもっとよく知りたいが… [岬めぐり]

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 鉾島についてのあれこれは、すべて帰ってきてからのことで、歩いていたときにはまったく考えていなかった。そのため、岬でもない鉾島は気にもせず、海から遠く離れた道を大入崎に向かっていた。
 その岬は、「おおいりざき」と普通に読んでもいいのだろうと思うが、「だいにゅうざき」としているのもあって、どちらが正しいのかよくわからない。なんとなく、呉音読みには違和感もあるが…。
 番田の終点でバスを降りて、山の中の道を行き、細池峠という小さな山と山の間を通る。一瞬、きれいな入江が目に入るが、別荘かなにかのような建物がどんとあって、ちょっと邪魔だ。
 もう少し先へ行けば、邪魔にならない角度で写真が撮れるだろうと、先を急いだが、今度は行けども藪が邪魔をして、切れない。そのうちに、峠道も下って大入崎の南側に出てしまった。
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 この付近は、なかなかきれいな砂浜も続いているので、海岸際を歩いたほうがよかったのだが、あいにくと道も途切れているようだったし、そんな余裕もなかった。
 というのも、次にどこでバスに乗れるのか、それがはっきりしていないままだったので、どのくらい時間的余裕があるのかが不確かだった。番田からは玉野市なのだが、バス路線はそこで途切れたままになっている。東児なんとかというところからコミュニティバスがあることまではわかっていたが、その停留所がどこなのか、地図では皆目見当がつかない。だから、それを確かめるまでは、なんとなく落ち着かない。
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 そういうときは人に聞けばいいことくらいはわかっているが、なにしろ人などはどこにもいないときている。
 細池峠の西の丘が、東児が丘マリンヒルズというゴルフ場だと表示してあるので、その南の胸上のどこかがそうなのだろう。胸上は、次の波張崎の西にある、この付近ではいちばん大きな町である。大入崎の南の浜に出れば、そこまでは1キロくらいで行けるはずだ。
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 大入崎の地図上の表記は、北側にしゃくりあげたような岬の北側につけられている。そして、その出っ張りが抱え込むように池か入江のように描かれている。自然の地形ではなく、人工的なものだということは、航空写真をみれば明らかだ。ここでもまた、鉾島と同じような地図表記の問題がありそうだが、いちいちいうのもめんどくさいので、ここは知らん顔をすることにする。
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 また、幸いなことに、南の浜からはそれはまったく見えない。同様に、岬の先端部も折れ曲がって北へ向いた部分は陰になっている。
 後でいろいろ調べてみると、確かな情報が少ないものの、どうやらこの大入崎の北の入江状の地形は、かつての塩田の跡らしい。
 古い歴史をもつ吉備地方は、製塩も製鉄もかなり技術の初期段階から盛んであったし、それらの背景としての古代小国家的な政治勢力の存在も、多くの古墳や遺跡で裏付けられている。それがまた、広島に差を付けているわけだが、そのことを最初に知ったきっかけは、1953(昭和28)年に最初の発掘調査が行なわれた月の輪古墳であった。
 それは久米郡美咲町飯岡(ゆうか)という岡山県の中央部にあったが、南部海岸付近の中心であった児島半島も、貝殻山などの山の上から海岸まで、大小さまざまな古墳や遺跡が、やたらと多いのである。
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 ところが、その内容や詳細といわないまでも概略でもいいから知りたいと思っても、なかなかちゃんとした情報に行き当たらない。
 ネット検索でも、大入崎にも古墳やサヌカイト遺跡があるという断片的な情報とそのコピーはあるが、1ページ分のリンクリストはろくでもないページばかりで、頼りになるかと思った「東児町史」も目次だけで中身がなく、確かめようもないのだ。

▼国土地理院 電子国土ポータル(Web.NEXT)
34.551781, 134.031693
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dendenmushi.gif中国地方(2013/02/07訪問)

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タグ:岡山県
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