番外:鉾立と鉾島=玉野市番田(岡山県)鉾島は確かに陸経島だが完全に陸続きになっているはずなのに… [番外]
『伊能図』を引っ張り出してみたのは、「鉾島」が確かに島だったかどうかを確認するためであった。中図でもそれは島だとはっきりとわかるように描き分けられていた。そして、その上には「番田村」と大きく表示してあった。
番田という地名はあっても鉾立というのは地名にないと、前項で書いていたのだが、もともとからこの地域の名は「番田」であったのだ。となれば、これが現在の地名に残るのは当然なのであって、それに比べると「鉾立」のほうは、限定的な名称ということになるが、明治期の合併のさいに北方周辺を鉾立村と呼んだらしいから、今に残る鉾立はその名残りということなのだろう。
その名を名乗る玉野市立鉾立小学校も、番田の西隣北方にある。その校章はなんと、鋭く先端を尖らせた3本の鉾が組み合わされたデザインである。
で、そもそも神功皇后がなぜ鉾島に鉾を立てることになったのか、立てなければならないような経緯があったのか、それとも単に無意識でなにげに突き立てたのか、そのエピソードが欠落したまま、鉾島の鉾立岩、亀山八幡宮の亀石、胸上の景色を見て胸が晴れたという話など、神功皇后伝説はこの付近に幅広く伝えられている。
そういった話を拾い出していると、なかには「鉾島へは、干潮時には徒歩で渡ることができる」と書いてあるページを発見したりする。
うーむ。こうなると、岬ではないけれど鉾島へも足を運んで、自分の目で確かめてみたほうがよかったかなぁ。
というのも、この地図がまた国土地理院とMapionでは、大きく異なっていたからだ。
▼国土地理院 電子国土(Web.NEXT)
▼Mapion
それならばと、航空写真を見ると、国土地理院の地図さえも、鉾島周辺の実態を正確に写しているとは言い難いことがわかる。かなりアバウトに思えるが、これはまあ北側に流れ込んでいる長谷川河口砂州は揺れ動いているので、この部分をどう見るかで、ムリすれば大目にみることもできないわけではない。
▼国土地理院 電子国土Web.NEXT 写真2007〜
だが、MapionやYahoo!地図やGoogle地図など、ZENRINソースに頼っている地図は、軒並みひどい。
現在の鉾島は、陸経島という成立の経緯を留めつつも完全に陸続きになっており、干潮時でなくとも常に歩いて渡ることができる。にもかかわらず、ZENRINソースのネット地図は、どれも伊能忠敬の時代の地図を未だにそのままに島としている。おかしくて思わず笑えるのはMapionで、鉾島を忘れていたのに気がついてあわてて付け加えたとでもいうように、島だけ色が違う。
▼Mapion
おまけに、Mapionでは赤い小さな十字を移動させると、その住所表示が示されるようになっているが、鉾島のうえに置いても住所表示はでない。つまり、もともとそこを陸地としてみていないことが明白なのだ。いかなる事情で、仮にも地図と称するものにかようなでたらめが許されているのだろうか。
▼Yahoo!地図
▼Google地図
▼Yahoo!地図 写真
▼Google地図 航空写真
Yhoo!地図やGoogle地図は、それぞれ自身でも併設している航空写真に切り替えてみれば、その違いもすぐにわかろうに、どういう神経だろう。
…といいつつも、そんなことは前からのことで、いまに始まったことではない。これまでも再三にわたって、こんな不完全すぎる地図を堂々と公開していていいのだろうかと、疑問を呈してきたことなのである。つまり、2009年にでんでんむしが和歌山は雑賀崎付近の地図を例にして、あまりにも海岸線が(地形が)実情とはかけ離れた描かれ方をしていることに注意喚起をしていた。ここもそれ以降に応急的に島を付け加えたという風情だが、それがまた違っている。
「番外DB:「Mapion」がZENRINになってしまうなんて大ガッカリだよ!!(「岬めぐり」のためのネット地図比較検討考)」 の項ならびに補記など参照。
あ、ホントだ。
これはたしかに繋がってますねえ。
by ナツパパ (2013-04-19 16:14)
@でしょ〜?! どう見ても「島」じゃないですよね。
おそらくこれは、ZENRINの作図する段階で、かなりテキトーに、憶測だけで線を引いたものでしょう。名前が島だから、そのように描いた…。
by dendenmushi (2013-04-20 04:58)