855 鮪ノ岬=爾志郡乙部町花磯(北海道)世の中いろいろな都合がありましてここはマグロの岬です [岬めぐり]
琴平岬とその岩の間にくいこんでいるような集落を抜けると、今度は前方に飛び出しているのが、鮪(しび)ノ岬である。三角形の両辺は、柱状節理の岩で覆われており、岬の上は先はなだらかな傾斜になって海に向かい、付け根の部分には集落が展開している。
ここも、トンネルができるまでは、岬の上を越えていた旧道がメインの道路であったろう。岬のほとんどは花磯という字地名で、東側は潮見。
その下を鮪ノ岬トンネルが通っているが、どういう訳あってか上りと下りの車線それぞれ別のトンネルになっていて、二つの穴がポッカリ開いている。ここは岬と同じ名だが、前の館ノ岬のときはトンネルだけ「の」になっていた。
世の中には、いろいろな都合があるということだろう。
そもそも「しび」といえば、東大寺や唐招提寺などの大屋根の上の両端に載っけられた「くつが反り返った」ような大きな飾り瓦の鴟尾のことを思ってしまう。靴が魚になって、ついには金のシャチホコにまでなるわけだ。
ここではそれとは違って、「鮪」の字が使われているように、「マグロ」のことを意味しているのだ。なぜここがマグロの岬かというと、その回答が“岸壁がマグロの鱗のようだから”とか、“岬の形がマグロの背のようだから”とか、はなはだ説得力がない。第一、マグロは暖流の魚だろう…と最初思ったのだが、対馬暖流の北上範囲は意外に広く、北海道の日本海側にも達している。でも形なら、鯖でも鰤でも同じだろうし…。
ただ、わが国では長く「マグロ」のことを「しび」と称してきたことは事実で、それがマグロになってしまったのは、江戸時代後期からのことらしい。「しび」は「死日」に通じるので不吉だから、というのがその理由だったらしい。
これもその時代がつくりだした、世の中の都合であろう。
柱状節理も岬の南面では植生に覆われ、あまりはっきりしないので、北面ではそれが目立つのだろう。トンネルを出たところで北面を見るが、残念、逆光で黒い岩壁らしきものがあることしかわからない。
電子国土ポータルでは、この岬の北側付け根のところに“車岩”と表示がある。これも柱状節理が車輪のような形をつくりだしているのだろう、という程度は想像できるのだが…。道路と海岸の間に、なにやら記念碑のようなものがあるのが見えたが、それがなんなのかはわからなかった。
二つの口を開けた鮪ノ岬トンネルの南側で、229号線と旧道をくぐる細い川が流れている。潮見の集落はこの谷筋に延びているが、この川の名前が「鮪歌三ツ谷川」というのである。
「鮪歌」にも、なにか謂われの一つや二つはひねりだせそうな雰囲気はあるのだが、ここで問題にしたいのは、「三ツ谷」である。これは、通り過ぎてきた琴平岬のあったところの字地名だ。今は潮見を流れているこの川が、実は本来の「三ツ谷」のひとつであったのかもしれない。
前項では、「三ツ谷」を数えるのに、ムリして川のない小さな谷を勘定に入れて三つだとしていたのだが、それよりもどうもこっちのほうが本命の谷のような気がしてきた。
乙部町も花磯を越えると、その北の「豊浜」地区でもうおしまいになる。「豊浜」という名は、乙部がニシン漁で豊かに賑わっていた頃の記憶であろうか。とくに天明・天保の飢饉のときには、“ニシンの千石場所”といわれて景気のよかった乙部には、本土の陸奥や羽後(秋田)からも、大量の人が移住流入してきたといわれている。
▼国土地理院 「地理院地図」
42度2分12.88秒 140度5分0.35秒
北海道地方(2012/09/02 訪問)
タグ:北海道
はなだ雲さんから来ました。855の岬ですか。第一そんなにあることも知らない山の中暮らし。見せてもらいにまた伺います。
by さきしなのてるりん (2012-10-08 07:37)
@さきしなのてるりん さん、よくいらっしゃいました。トンボ王国、こがねむし王国での菜園づくり。いいですね。
でんでんむしも、畑仕事は好きなんですけどねえ。
今は、とにかく岬めぐりのほうに集中して…。まだまだ、これで第一目標の50%くらいなのです。
by dendenmushi (2012-10-09 08:09)