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812 網干ノ鼻=東牟婁郡太地町森浦(和歌山県)グリーンピアもグリンピースもこの町との相性はよくない [岬めぐり]

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 太地町でふたつしかない字地名は、それぞれ太地湾と森浦湾と湾の名にもなっているが、森浦のほうは太地に比べると、ずっと集落は小さく静かで、湾も森浦のほうは浅瀬も多いようで、あまり漁港は発達しているようには見えない。だが、この岬の名は、網を干す場所であったことを示している。
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 網干ノ鼻は、地図では岩場がぎざぎざになって飛び出ているように表示されているが、対岸から見るとその岩場はあまり目立たず、丸いこんもりした山の岬のような形だけが目に残る。この小山は、70メートルほどのピークと三方に伸びた小さな尾根でできていて、ここを太地町と那智勝浦町との町境が通っている。
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 岬の右手(北側)は隣町の那智勝浦町で、左手の小山が切れるあたりには三軒家という小字名がある。おそらく、それくらいの寂しい漁村があったのだろう。
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 その上の山のほうには、普通の民家とは思えない建物がいくつかちらちらとうかがえる。国土地理院の電子国土ポータルの地図では、ちょうどここを走っている国道42号線の表示が、ちょっと気になる。他のネット地図では均等に描かれている国道が、随分細い道のように描かれているのだが、この三軒家の奥のところだけ、道が広く整備されている。
 それだけでなく、その広い道の周囲には広い敷地にいくつかの大きな建物が、グレーで表示されている。名前はなにもないが、これはいったいなんだろう。
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 そう考えてみて、すぐ浮かんだのが“太地町にも「グリーンピア」があった”ということだった。旧年金福祉事業団の“役人の商法”の悪名も、もうすでにみんな忘れたか忘れかけているのだろうが、全国13か所のグリーンピアをつくるのに、年金保険料から1,953億円を投じたが、結局それを整理するにあたっての売却総額がわずかに48億円でしかなかった、ということは当時もかなり衝撃的であった。
 同じ厚労省がらみで始まっても、国民休暇村が破綻もなく現在も財団で健全に当初からの役目を果たしている(ようにみえる)のに比べても、13か所のうち7か所が歴代厚労大臣の地元にあるというところからしても、こっちのほうはかなり悪臭ふんぷんでキナ臭い。記憶に間違いなければ、休暇村は厚生省時代に始まったが、グリーンピアは労働省関連ではなかっただろうか。
 さっさと始末してなかったことにしたほうがよかろうと、その整理譲渡が急がれた結果、民間へ譲渡された鹿児島の指宿と高知の横浪を除く11のグリーンピアは、公共利用と10年間の転売禁止を条件に、各所在地自治体に払い下げられた。その結果、2004年以降、9か所でホテルやレジャー施設として営業が再開されている。閉鎖されたままで残るグリーンピアは、長野の恵那とこの和歌山の南紀だけである。
 南紀の場合は、那智勝浦町と太地町に敷地がまたがっていて、主要な宿泊施設が那智勝浦町のほうにあるという事情もあってか、2005年の払い下げから、再建プランは進まないまま、町のホームページでもなんの情報もなく沈黙したままでいる。
 これまでの経緯のなかでは、自民党政権下で要職にあった和歌山選出代議士が暗躍して、実体さえも怪しげな中国企業がリゾート事業を進めるという話をめぐる疑惑が、地元ではかなり物議を醸した。この人物は、江沢民の銅像を和歌山につくろうとしたことでも批判されたが、とにかく両方とも実現せずによかった。
 数年前には、和歌山市の運輸建設業者に開発運営を委託し、海産物即売所を中心に整備再開しようする計画もあったらしいが、地元の土産物業者への配慮からまとまらなかった(『紀伊民報』の記事による)ようだ。
 那智勝浦町に敷地がある宿泊施設の建物だけは、他のネット地図では「熊野の宿・梛(なぎ)」と表記されているので、どうやら隣町側では一部営業再開にこぎ着けたということなのか。
 最近、旧グリーンピア南紀が新聞やテレビに取り上げられ、その存在が意識されたのは、2011(平成23年)の台風12号の被害を受けた住民のための避難所として、その施設が一時的に使用されたときくらいだったのではないだろうか。
 孤立を恐れず、立派に昔ながらの太地町の領域と風習と暮らしを守ってきた町も、外国人がやってきてイルカ漁を盗み撮りで映画にされ、思わぬ形で予期せぬ世界的な批判にさらされた。グリーンピース的思考が国際会議を支配して国際世論を形成し、その結果クジラが捕れなくなってからは、イルカをシンボルといただいているこの町では、ここのところまったくロクなことがない。
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 三軒家の対岸には本浦という小字名がある。ここが森浦の元村で、糟森(かすがもり)という山があったそうで、森浦という村名はこれから起こったという。その糟森山がどこか、すでにわからないが、本浦の入口付近には、こんなモニュメントがあって、太地町へ来る者を迎えている。
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▼国土地理院 「地理院地図」
33度35分57.11秒 135度55分52.78秒
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dendenmushi.gif近畿地方(2011/10/07 訪問)

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タグ:和歌山県
きた!みた!印(33)  コメント(2)  トラックバック(0) 
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きた!みた!印 33

コメント 2

smik

なんだか、せつなくなってきました。
海だけを見てれば、こんなにも穏やかで美しいのに。
by smik (2012-06-25 22:42) 

dendenmushi

@smik さん、コメントありがとうございます。そうですね、日本中どこもだいたいにおいて、海は美しい…。
『天地明察』こないだ買っていたのを今、読みはじめたところです。
by dendenmushi (2012-06-27 05:57) 

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