766 阪田鼻=西牟婁郡白浜町(和歌山県)写真で記憶を呼び起こしながら辿る白浜の道では [岬めぐり]
馬見崎から西の白浜町一帯、飛行場の近くまでのかなり広い地域は、元々の白浜であったという名残でもあるのだろう。ここにだけは、地名表示に字名がついていない。“白浜町○番地”である。
だが、電子国土ポータルの地図には、字名らしい地名も残されているので、始めからなかったわけではなさそうだ。白浜の北に突き出た半島の北東の端は、阪田という名があり、小さな丘が張り出した岬の東側は埋め立てられてグランドや公園などができているが、阪田鼻の西側は崖が露出している。その西の海岸は江津良である。
阪田鼻の周囲も、岩礁地帯が広がっているようだが、この崖の下にも「白浜の化石漣痕」という∴マークがついている。国指定の天然記念物なのだが、でんでんむしはどうもこの“化石漣痕”というやつが苦手で、よくわからない。
実は前にも、高知の竜串(「番外:竜串=土佐清水市竜串(高知県)足摺岬へ来た人の20%しかここまで来ない」の項参照)で同じように漣痕で困ったことがある。このときもしっかり自信が持てなかったので、記事に書くのは控えたのだが、見ていても、単なる地層なのか、漣痕なのかが、なかなか判別しがたいので、にわかに腑に落ちないのである。
そんなわけで、田坂鼻の∴マークは、ほぼスルーしてしまったのだが、「和歌山県フォト博物館」というサイトに、こんな説明と写真があった。
江津良の阪田鼻から田尻浜にいたる海岸の汀線沿いに新生代第3紀鮮新世の砂岩と砂質泥岩の互層が露出していて、この砂質泥岩中に化石漣痕がみられます。化石漣痕は浅い海底の砂の表面に波の営力によって海底の砂が動いてできたもので、それが乱されないうちに薄い粘土に覆われて固まり地層となり、その後、砂岩が浸食され漣化石として見えるようになったものです。
この写真を見ても、やっぱり…?! なのだが…。
それよりも、こんなののほうがそれらしく見えたりするのだけれども、これは違うのかな?!
白浜では、ここだけでなくあちこちにこうした地質学上のポイントがある。化石漣痕のほかにも「泥岩岩脈」というのがあるのだが、こっちのほうはもっとわかりやすい。
次の機会には、漣痕ももっとちゃんと調べて見るようにしよう。
なんとなく、当初の白浜駅から自転車で回ってみるという漠然とした目論見が崩れてしまったので、三段壁から逆回りで歩いている白浜の岬めぐりは、いささか勝手が悪い。
おまけに、訪問日とこれを書いている時期との間に5か月以上という日時が経過してしまったので、あれこれ細かいことを思い出すのにも苦労する。これは、今後に生かすべき反省点かも…。
たいていは、どこをどう歩いたか、かなり細部にわたって思い出すことができるのだが、こうして記憶がなんとなく不鮮明になるのも、加齢のせいだと言われてしまうのだろうか。
▼国土地理院 「地理院地図」
33度41分42.43秒 135度21分19.45秒
近畿地方(2011/10/05 訪問)
あ、神社もありますね。
by ナツパパ (2012-03-26 08:35)