ここがオヤケアカハチの居城跡なのか?フルスト原遺跡で先島諸島の先史時代に思いをはせる(23) [石垣島だより]
奄美群島から八重山諸島にかけての、琉球弧とも呼ばれる地域に多いのがグスク(本島読み)とかスク(八重山読み)と呼ばれる遺跡である。「御城」とか「城」という字を当てているので、本土の大名の城を連想してしまうが、それともちょっと違う。
御嶽を取り込んで大きくなった聖域であるとか、環濠や石垣で囲んだ集落であるとか、地域の有力者の居城であるとか、いくつかのタイプ別要素がある。
石垣島にもグスクがある。それが、石垣空港の滑走路の北端の延長線上にある、「フルスト原遺跡」である。
その所在地は同じ大浜だが、オヤケアカハチの像がある集落からは800メートルくらい北北西にあたる台地の上である。“グスク状の遺跡”といわれているように、台地のあちこちに十数か所もの石垣で囲まれた家の跡のようなものがあるが、これらは発掘され再建復元されたものである。
石は当然この島で取れる珊瑚性石灰岩で、現在でも家のまわりを同じようにして囲っているのが、なにかおもしろい。ただ、ここの石垣は、通常の民家の石垣より全体的に高く、低いところでも2メートルくらいはある。
ちゃんと御嶽の跡もあって、囲いの中からは陶器の破片などが見つかっているが、遺跡としてはあまりはっきりしたことがわかっていないようだ。
ともかく、大浜の集落付近では、オヤケアカハチの居城跡のような遺跡が見つかっていないことから、このフルスト原遺跡がそうではないかという説は根強くあったらしい。それを立証する史料は、現在まで見つかっていないが、琉球王国の歴史書の記述にもあうというので、その可能性は高いとみられている。
同じ場所には貝塚もあったので、先史時代からの複合遺跡なのだろう。先島諸島の考古学研究も各所で発掘調査が進み、ここも1978(昭和53)年に、国の史跡に指定されている。
ただの石垣といってしまえばそれだけのことだが、なかなか味わいのある石垣である。そう思って眺めていると、石垣空港を飛び立った飛行機が、めずらしく晴れた青空を舞い上がっていく。石垣島でも、長い歴史のなかで、海岸線は押したり引いたりしているはずで、宮良湾を望む台地は、昔の人にとっても住むのに適した一等地だったのだろう。
縄文土器も弥生土器もどちらも発見されていない八重山諸島の先史時代には、大変興味深いことが多いようだ。
北の入口から入って、南の入り口へ出た。そこはもう大浜の集落の北の端で、おしゃれな家が多い。
大浜中学校の近くに、これまたおしゃれなパスタ屋さん。こんな住宅街にぽつんとある。自宅を改装した白い壁の赤い矢印に導かれて入ってみると、第一線を退いたご主人が厨房に立ち奥さんが店の客に運んでいるという感じの店。いただいたキャベツとアンチョビ(だったと思う)のパスタは、とてもおいしかった。
沖縄地方(2012/01/24 記)
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