とぅばらーま記念碑とアコウの大木がある「なかどー みちぃ(仲道路)」(16) [石垣島だより]
石垣島の中心市街地は、於茂登岳とは独立して南西に突き出しているバンナ岳(230メートル)の火山活動でできたらしい、扇状地状のゆるやかな傾斜が南の海に落ちるところに限られている。
傾斜地を横切って、流れる新川川は、市街地の北と西の区切りとしているようにみえる。同時に、旧市街地を取り巻くようにある墓地も、目に見えない境界をつくっているようにもみえる。
碁盤目というほどきっちりはしていないが、横長の旧市街の密集地はさんばし通りの東にも広がっているが、それも八島の港から運動公園に至る道路で東の区切りとなっている。それよりさらに東にも住宅地は続いているが、ここらへんから空港の南一帯は、いまではさまざまな商業施設が並ぶいわば新開地で、とくにその南部は開けるのが遅かったとみられる。
島の東海岸を縦断する国道390号線は、バスターミナルから730交差点を進み、八重山博物館のほうへ右折して、気象台、仲道と旧市街地の道をぎくしゃくと折り曲がりながら走っている。その混雑を避けるために空港から新開地を突き抜けてバイパスが通り、住宅密集地の混雑を避ける車は、ほとんどこちらを通る。
だが、白保線のバスが通る旧市街地の道路は、東南部市街地の区切りのラインとしても、それなりの意味をもっていたのではないだろうか。
そのバス道路が、八島と運動公園を結ぶ道と交差する五差路(上の地図で青い国道番号が上下に二つ並んでいるが、その上のほうの記号がある付近)に、「とぅばらーま記念碑」というものがある。「とぅばらーま」とは、八重山民謡のなかでも“最高の叙情歌”として歌い継がれてきたもので、毎年九月十三夜の月をバックにして歌唱力を競うイベント「とぅばらーま大会」まである。
これにも、古典的な歌詞と多くの歌詞がつけ加えられてきているのも特徴であるが、元来の歌詞に言う「なかどー みちぃ」というのが、このバス道路にあたり、これは西にほぼまっすぐ走って宮良殿内につながる、細いけれども旧市街の主要路だったことがわかる。
歌碑の裏に刻まれた文は達筆で、以下のように言う。
「流れる才月
移りゆく人の心
大阿香の下に昔を
偲ぶよすがとして
この碑を建てる
昭和五十五年九月
登野城
平 得
真栄里」
個人名でなく、しかも知事や市長などの名でもなく、旧市街地の東に並んで於茂登岳まで届く三地域名の連名であるというのが、すばらしいことのように思える。
「大阿香」とは、交差点で目立っている大きなアコウの木のことである。
アコウの木は、これまで「岬めぐり」でも何度か遭遇してきたが、まさかこんなところで出合おうとは思わなかった。
本土のアコウは、九州や四国や紀伊半島の海岸際に限られている。なぜなら、その実は“遠き島より流れ寄”った結果であるからだ。そのどこかには、石垣島との関連をうたうアコウの木もあったことを、この木を見てやっと思い出した。
ここが、その母なる木の生い茂る島だったのだ。だから、この島のアコウは海岸べりに生えているとは限らない。このアコウは、海から1キロも内陸にあたる交差点で根づいている。
沖縄地方(2012/01/15 記)
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