家々の玄関のうえには日の丸のついた正月飾りがあるのを見ると…(12) [石垣島だより]
今日の本題の前に、一昨日の「ユーグレナモール」の項(10)について、新情報があったので追加。モールの入口にある大きな看板(肝心のモールの名前があるにはあるけれど目立たない)の絵は、沖縄出身のアーティストpokke104さんと島のこどもたちが共同制作したものだという。
お正月に来たことも二度くらいあって、最初は波照間島だったか、各戸の玄関口に飾られているお正月の飾りを見て驚いた記憶がある。何に驚いたかといえば、その飾りについている結構大きな「日の丸」に、である。
今年のお正月は、いつの間にやら七草も過ぎたが、こちらではそういう風習はないのだろうか。だが、お正月を迎える飾りは、本土並みに盛んである。少ないけれど門松も、一応健在であった。また、まだ少ないけれど、本土で増えている、クリスマスリースのような丸い飾りをドアに付けている家もあった。
石垣島のお正月飾りは、大小はあるが一定の決まりでもあるかのように、ほとんど同じもので、本土のと違って、左右にしめ縄のしっぽのようなモノが長く延びて、御幣がぶらさがっている。波照間島で驚いたのと同じく、やはり「日の丸」があるが、こちらはこじんまりとだが、ちゃんと中央で二本ぶっちがい。
国旗を立てる代わりというわけではなかろうが、本土にはない(ないと思うが全部調べたわけではない)この日の丸には、なんとなく複雑な思いがしたのだ。
またしても、以下、でんでんむし流の揣摩憶測に過ぎない。
沖縄本島ではどうなのか知らないが、この日の丸には沖縄地方の人びとの、長く続いた本土復帰への熱い思いも込められてきたのではないだろうか。
もともとは琉球王朝をいただく独立国であったはずなのに、江戸時代の薩摩処分によっていわば薩摩藩の植民地同然の苦渋をなめ、明治新政府に引き継がれて日本人になったに過ぎない。また、太平洋戦争では本土を守る楯となって戦場と化し、多くの民間人が命を落とし、敗戦後はアメリカ軍の統治下に置かれてきた。今でも多くのアメリカ軍の基地が残ったままで、日本政府ならびに本土の人間は、基地を我慢すればカネを出すくらいのことしかしてこなかった。
本土では右翼の街宣車が大音量でが成り立てる軍歌とともに翻るか、オリンピックのときやワールドカップくらいしか、あまり出番がない日の丸を、こんな日本のハジッコで、毎年年の初めにこんなにたくさん掲げている人びとがいる。
それは、長い歴史のなかでの日本に対する意識、沖縄独特の複雑な国家意識の表われではないのか。日本人でありながら遠い祖国にさまざまな思いを馳せるのに似て、大きく膨らんだ憧憬と期待や、その他もろもろがあったのではないか。もっとも、この正月飾りをよく見れば、中央の赤い丸のところには「交通安全」「家内安全」「商売繁盛」と書かれた三枚の札もあるので、日の丸もそのついでに過ぎず、いわばまじないのようなもので、さほどに深い意味はないのかもしれぬ。
ともかく、本土復帰から40年も経つが、沖縄の人びとがその期待に反して味わってきたのは、日本という国家への不信ばかりではなかったのか。大和の支配になって以来、沖縄にとって、なにかひとつでもよいことがあっただろうか。
日本という国に対する幻滅は、もう頂点に近づいていることは確かで、このままだといつかこの飾りから日の丸が消える日がくるかもしれない。
沖縄地方(2012/01/09 記)
はじめまして
ちょっとパラレルワールドのような場所にいらっしゃるようなので現実にご招待したいと思います♪
YouTubeで恵隆之介氏の動画など見てみてください。
by みどりん (2012-11-18 18:32)
@みどりん さん、招待状ありがとうございます。なるほどすごいですね。本土だけでなく、沖縄も離島も、どこもみんなパラレルワールドなんだ…という感じです。
この方は、「八重山日報」の論説委員ということでしたが…。
by dendenmushi (2012-11-19 04:51)