SSブログ

左から右へ揺れ動く民意のなかで混迷する八重山の教科書採択問題(08) [石垣島だより]

kyouiku01.jpg

 石垣島は、一つの島でまるごと一つの市という行政単位になっている。こういう例がほかにもあるのかどうか、すぐに思い至らない。だが、実はこれはもともとちょっと怪しいのだ。
 というのは、尖閣諸島をどう考えるかで、とたんに“一島一市”になったりならなかったりしてしまうからだ。尖閣諸島は、行政区域としては今でも立派に「石垣市」なのである。
 市議二人がこの島に上陸したとか、市長も行くとか行かないとかで話題になったこともある。
 だが、今もっともホットでやっかいなモメている問題は、八重山地区の中学教科書選定問題であろう。本土のメディアでもかなり取りあげられたので、多少は知っていたが、なかなかことは複雑で、簡単に状況の一部始終を把握するのもむつかしい。
 ただ、こういうことになることは、まったく予想できなかったわけではないのである。
 2010年の石垣市長選挙で、保守派の中山義隆市長が当選し、それまで4期16年という長期にわたって続いてきた革新市政に幕が下ろされた。すべてはここから始まっている。
 「生命どぅ宝」、「平和ほど尊いものはない」を座右の銘とした大濵前市長は、“沖縄の反戦平和”の柱のひとつでもあったのだが、長期政権のスキもウミもアキもあっただろうし、“パワハラ”で告発され、それがネットや右寄りメディアで散々に利用されたことも原因だろう。
 まだ若くて元気のいい新市長は、自ら尖閣に上陸したいという人で、「将来は尖閣周辺をクルージングやトローリングもできる海にしたい」と言い、おおいに喜んだ産経新聞は、「尖閣上陸宣言」「実効支配に動き始めた石垣市」などと書き立てていた。
 右派や右寄りのメディア、それらを信奉する人びとにとっては、この市長交代は沖縄というそれまで手出しができなかった“反戦平和の牙城”を切り崩すために打ち込まれた、強力なクサビであった。
 あとは、これを叩き続ければ、堅い岩も砕くことができる…。
 右寄り市長に選ばれた石垣市教育委員長が、右の人びとにとっては目の上のコブだった日教組の反戦教育をやり玉に上げてなんとかしたいと動き始めるのも当然のことで、今回はとりあえず公民教科書だけでも「新しい歴史教科書をつくる会」系(つくる会の内紛で分裂し、現在では自由社と育鵬社がある)の育鵬社版が選ばれれば、次に歴史教科書に手をつけるのは簡単なことだ。そのためには、議事録の改ざんをも辞さないという、強い決意のもとでやったことだ。強引な運営で、思惑通り地域としてはいったん公民は育鵬社と決まったかにみえた。
 ところが、そう簡単にはいかなかったのは、竹富町の教育委員会がその総意として、育鵬社版を拒否して東京書籍版を選択すると主張したからだ。しかも、昨年9月に開かれた改めて3市町村の全教育委員13人が4時間になんなんとする議論の末、多数決で育鵬社版を不採択とし、東京書籍版の採択を決めた。しかし、石垣市教育委員長などはこれが無効だという。このへんのいきさつが、本土の情報ではよくわからない。
 教科書などそれぞれの教育委員会や教師が選べばいいと思うのだが、文部科学省は“一町一教科書”ではだめだから育鵬社版を使えという。教科書は八重山地区(石垣市、竹富町、与那国町)で、同じものを一括採択しなければならんという根拠薄弱なお役所的都合による規則をタテに、竹富町には無償配布をしないと言い出した。
 ことは裁判沙汰に持ち込まれそうで、問題は越年したが、石垣市長のほうは自身の施政方針の半分が神奈川県小田原市の施政方針の文章からのパクリだったというので、当分それどころではない様子。
kyouiku02.jpg
 石垣市立図書館の前にある広い新栄公園の一角には、憲法第九条の条文が刻まれた石碑が立っている。本土では大江健三郎氏や故井上ひさしなどが尽力してきた“九条の会”も、さほど大きな力にはなっていない。日本で唯一地上戦を体験した沖縄ならではともみえる石碑も、このぶんではそのうち公園の改修工事とかが行なわれて、ついでに埋められたりしてしまうんじゃなかろうか。
 そこから道路を挟んで隣にあるのは、あくまで東京書籍版をという竹富町の町役場。島だとなにかと不便と、石垣島の離島ターミナル近くに置いてあるのだ。
kyouiku03.jpg

dendenmushi.gif沖縄地方(2012/01/03 記)

にほんブログ村 その他趣味ブログ
その他珍しい趣味へ 人気ブログランキングへ


きた!みた!印(27)  コメント(2)  トラックバック(2) 
共通テーマ:地域

きた!みた!印 27

コメント 2

cafelamama

でんでんむし様は磯崎のことをご存じだったのですね。
駅から海に向かう畑や住宅の入り混じったところに僕の家があります。
展望台の場所も神社の前の小山の上です。ただ、画角がすこしちがうだけです。
白亜紀については僕も詳しく知りません。
ただ、灯台下あたりの磯の岩が全部同じ方向を向いているのが白亜紀の特徴だと聞いたことがあります。

by cafelamama (2012-01-03 08:41) 

dendenmushi

@cafelamamaさん、磯崎は「白亜紀」のせいか、よく覚えていて、いまでも名前を聞くと景色が浮かんでくるのです。それで、すぐにコメントさせてもらいました。ああ、横浜からあそこにいかれたんだ…と思いました。
あの電車は、なんとか廃線にならずに、がんばってほしいものです。あの神社のの参道も、今ごろは椿ではなやかに彩られているでしょうね。
by dendenmushi (2012-01-04 07:40) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 2

トラックバックの受付は締め切りました