738 黒崎=羽咋郡志賀町鹿頭(石川県)記憶がフラッシュバックする田圃から一日2便のバスに [岬めぐり]
志賀町の笹波の海岸から南を見ると、鹿頭(ししず)の黒崎が横たわっている。いちばん高いところでも30メートルしかないが、その先端部分が岩場のこぶのようにちょこっとした出っ張りになっている。
こうしてみると、長く出っ張っているように見えるが、実際は地図でみるように、20メートルくらいの台地状のでこぼこが広がっているだけだ。
ミノ岩と名の付いた岩島は、地図でみるほどには大きくもなく、目立ってもいない。その陸地側には、ほのかに丸い出っ張りがあって、これが横からみるとはっきり別の岬のように見えるが、この突端から手前が笹波で、その向うが鹿頭になる。
黒崎への道はないらしいので、また来た道の田圃の間を抜けて、笹波のバス停へ。
日本中、どこにでもある田圃の風景…。
時は、ちょうど刈入れの前で、稲を束にして掛けて干すためのやぐらというか棚が組まれているところだった。これ、なんていう名前だったかな、と考えてもそれがなかなか浮かんでこない。確かに、昔はちゃんとその名で呼んでいたのに、とうにそれが自分の頭の中から消えてしまっている。
こういうことが、どんどん多くなっていく。
祖父が、家の軒下に保管してあった長い丸太を何本も出してきて、荒縄でそれを器用に括りながら、組み上げていく。自然木の丸太は、根元が太く先が細くなっているので、根元には別の木の先のほうを重ねてつないでいくのだ。でんでんむしの祖父は、戦争で息子を亡くしたうえ原爆で家と伴侶を失ってからは、左官の頭領を辞め郊外に引っ込んだままにわか百姓を始めたが、万事に器用な人で、キセルからお墓までたいていのものを自作していたものだ。残念なことに、その才能は孫には受け継がれていない。
周囲にはまったく人影もない笹波の田圃を歩いていて、このやぐらを見たとたん、そんなことが次々に思い起こされてきた。
道路に戻って、笹波のバス停を探すと、一軒だけの商店の前に二本の停留所標識が立っている。北陸能登バスと志賀町のコミュニティバスが走っているのだが、その本数はどちらも日に2本程度しかない。北陸能登バスのほうは、ダイヤが合わないので乗れない。
バス停には、ベンチに腰掛けた先客があり、あいさつをする。ヤセの断崖以来出会った人は、おじいさん。自分も正真正銘おじいさんだが、この人は80歳は超えているだろうか。他人の年齢は、よくわからない。
それを思うと、祖父はまだずいぶん若くして亡くなったのだ。気がつけば、自分もいつのまにやら祖父の歳を…。
黒崎の台地は、どうやら土地利用が進行しない理由があるらしい。水利なのかどうかわからないが、とにかく畑でも田圃でも果樹園でもないようだ。鹿頭の集落も、そこを避けて、そこから南東にはずれたところを流れる小さな水流に沿ってあり、道路もそれにともなって海から遠くなる。
小型のコミュニティバスは、鹿頭を過ぎ、赤崎(これは集落の名で岬はない)を過ぎ、海岸から内陸にそれて、志賀町の富来(とぎ)へと向かっている。
733の「黒崎」の項で、その名称については書いていたが、ここの「黒崎」は、「赤崎」に対して付けられたものかもしれない。
▼国土地理院 「地理院地図」
37度11分20.24秒 136度40分36.36秒
北陸地方(2011/09/08 訪問)
明けましておめでとうございます
始めてお邪魔させていただきました
どれも癒される風景でが
特に田圃の写真が好きです
by めい (2012-01-04 21:57)
@めいさん、よくいらっしゃいました。数あるブログのなかから、このブログに眼を止めていだだいた、というのもふしぎなことですね。ありがとうございました。
でんでんむしの写真は、メモ代わりと称している程度の、いいかげんなものばかりですが、田圃のは前の項にもあります…。
by dendenmushi (2012-01-05 06:23)