524 コウギノ鼻=須崎市大谷(高知県)須崎はスザキではなくてスサキ・双頭の岬 [岬めぐり]
コウギノ鼻は、須崎港の南に張り出した半島の南端に飛び出している。ちょうど先端が双頭になっていて、西寄りの先っちょにコウギノ鼻という名前が付けられている。東側には名前はないが、その先端には小さな岩島がくっついている。
バスが峠を越え、勢井という集落に降りてくると、それが見えてくるが、コウギノ鼻自体は、バスの終点から野見湾越しに見ることになる。
2010年のチリ地震津波のとき、NHKテレビがしきりに須崎港の様子を映し出していたことは、前にもちょっと書いていたが、実は高知県の須崎市は、何度も津波の被害を受けているのである。
市のホームページによると、50年前のチリ地震津波(1960(昭和35)年)では死者こそ出なかったが、1946(昭和21)年の南海地震津波では甚大な被害を受けた。1854(安政1)年には安政地震津波があったし、それ以前も何度か大地震が襲っている。いちばん古い記録に残る地震と津波は、684(天武12)年にあったという。
確かなことはわからないが、横浪三里の各項目でふれてきたように、あの複雑な入江が生まれることになったのも、そうした大地震によるものではなかったか。そういう、推測は容易である。
JRの須崎駅に着くと、まず荷物を預けようとコインロッカーを探したが、そう広くない駅のどこにもない。中ノ島へ行くバスが出る市民文化会館へ足を向けると、駅を出てすぐこんなクロスワード・パズルのような看板の店?があって、自転車だけでなく荷物も預かってくれるらしい。そこの店番のおじいさんに預けて会館へ向かう途中には、大きな「津波之碑」が建っているし、市民文化会館の壁には津波注意の掲示がしてある。
須崎市は過去の経験に学んで、防波堤の建設など防災計画には力を入れてきたらしい。この「津波之碑」も、防波堤の完成を期して建てられたもののようだ。
中ノ島行きのバスは、駅の前を北へ通り過ぎ、“逆くの字”型に深く切れ込んだ須崎港を大きく回り込み、セメント工場の前を通って山を越える。
須崎で津波の被害が大きかったのは、この港と湾の地形にもよるところがある。狭い入江に津波が押し寄せると、波の方向と力が複雑に作用して、大波が陸地にはい上がるような現象が起こる。
須崎の町は、港湾に近いところ、市役所がある山の陰にあたりの地域、それに入江の奥の多ノ郷(おおのごう)地区に分かれているようだが、津波はその奥まで達したという。
33度22分28.57秒 133度17分58.98秒
四国地方(2010/01/22 訪問)
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