444 姉ヶ崎=宮古市崎鍬ヶ崎・崎山(岩手県)すべては霧の中へのみこまれていく?! [岬めぐり]
浄土ヶ浜までは、ときには薄陽もさしていた空模様が、だんだん怪しくなってきた。JR東日本が安い切符を売り出すのは、当然乗客閑散期の対策としてであるから、今回も梅雨の真っ只中。お天気はもともとあまり期待してはいけない。場合によっては、雨の中を歩く覚悟もできている。
今夜の宿である、「休暇村陸中宮古」の駐車場へ着いた頃には、ぽつぽつ落ちはじめていた。
蛸の浜から休暇村の周辺まで、北リアスの特徴ともいえる高さ50メートルほどもある断崖絶壁、という地形が連続している。地名でいうと、宮古市の崎鍬ヶ崎と崎山の境界線の上に休暇村の敷地が広がり、台地の先端にある姉ヶ崎という島も、地名表示では半分に区切られてあった。
島の稜線にぽつぽつと並んでいる影がある。島の斜面に白い点々をまき散らしたような模様がある。
島もそこだけ大地から置き忘れられてしまったかのような断崖の岩島で、わずかに木も生えてはいるが、陸と断絶しているため天敵もおらず、ウミネコの格好の住み処となっている。ウミネコの生息地は、日御碕の経島などいくつかあったが、だいたい似たような条件の場所である。
こんなウミネコしかいない岩の上にまで、人間は地面の領域を明らかにすべく境界線を引く。そのお役所的芸の細かさに感心する。
社会的な動物として、人が活動を続けていくうえでの必然とはいえ、国境を引くわけでもないのだし…。
どうせ、地名の区切りに過ぎないのだから、こんな人が入り込み影響を及ぼすことなどなにもできない岩島なんか、どっちに所属しても関係ないと思うところだが、であればこそ将来にもめごとのタネを残さないように、崎鍬ヶ崎と崎山の両方に所属するように線引きをした、といったところなのだろう。
へそまがりでんでんむしなどは、とかく役所の悪口も、しばしば言いたくなる。文句や皮肉のひとつふたつも書きたくなる。そのため、勤労人口の何割かを占める公務員(のみならず共済年金で優雅な引退生活を送っておられるOB、OGを含め)多くの皆様方を、筆者の意図とはかかわりなく不愉快にさせたり、テキに回してしまったりすることも結果的にあるかもしれない。なのでもともと支持率のアップは期待できず、当たり障りのない八方美人でなければならぬ“人気ブログ”などには、決してなれない道理である。それは、如何ともし難い。だが、“お役所力”というのは、たいした力をもっている、とその実力は大いに認めている。
今朝のニュースにもある、外務省が都合の悪い文書類を情報公開制度の開始前に大量に廃棄してトイレットペーパーにして、自分たちの尻拭いをしていた(ブラックユーモアのセンスもある)という例など、それこそ映画でよくみる敗走前にナチスが書類を燃やしている場面などよりも、はるかに日本のお役所力のほうがすごい。いくら政府当局が否定しようと、その真実味が薄れることはない。
お役所力は、このように悪い方向に働けば際限なく悪になるが、その潜在的能力には端倪すべからざるものがある。
そうした、ものごとをできるだけはっきりさせておきたいという、ともすると厄介な人間の習性にはおかまいなしに、あたりをうすぼんやりとした霧が覆っていき、景色をあやふやにしていく。
休暇村については、これまでも、126 弁財天岬=ホタルの光ナゾもとけて休暇村や、218 立馬崎=田原市(愛知県)松林の「休暇村」に泊まる などの項目でふれているので省略するが、国有地を利用しているため、どこもロケーションがすばらしい。ここも、リアス海岸の台地の上は、深い森で、その下を園路がめぐる。
フロントの話では、この日も満室だという。そのせいだろう。一人一部屋を要求したオヤジ二人には、ロビーからすぐ北側の緊急駐車スペースに面した部屋をあてがわれてしまった。まあ、どうせ景色など見えないし、どこでもいいんだけど…。
夕食には名物というウニをいただいた翌日の早朝には、今度は南側の海岸が望めるところまで、散歩に出かけた。
昨日、着いてすぐ出かけた姉ヶ崎も、少し離れた南側からみると、こんな感じになる。
崎山の海岸には、“潮吹穴”なるものもあると、地図には記してあるが、そこまでは行けないので、その沖合にポッカリと浮かぶ日出島を眺める。
霧に浮かぶ島の景色は、なかなかに幻想的で、一幅の水墨画である。
森の中で、パラパラという音がする。雨が落ちてきたのだ。折り重なる葉っぱがそれを受け止めているので、音でしかわからない。
この分では、今日の行程はちょっと岬の景色がちゃんと見えるのだろうか、いささか気掛かりである。
39度41分14.01秒 141度59分15.15秒
東北地方(2009/06/29 訪問)
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