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297 蛭ヶ崎鼻=廿日市市梅原二丁目(広島県)大野浦をこれかと問えばフマキラーの岬 [岬めぐり]

 “崎”と“鼻”と両方つけた、ちょっと心配性の岬である。蛭ヶ崎鼻。地形図と実際に歩いてみたところを合わせてみると、この岬の心配にも理由がないわけではない。
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 この小さな岬のあるところは、本土の埋立てが進んで最も宮島に接近している辺りで、かろうじて残った岬が、その存在を強調するために、崎と鼻と両方つけたようにさえ思える。
 …というのは、もちろん後からのこじつけに過ぎないので、まったく根拠はない…。第一、それでは順序がおかしい。
 蛭ヶ崎鼻は、美しい小さな入江とそのそばに広がる集落の先端にあった。どうやら、埋立地の公園の入口のところからみるのが、ベストポジションである。
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 この北の広島寄りには前空の早時鼻宮島口に近い観音崎と岬が続いているが、これはすでに項目としてあげてある。
 JR大野浦の駅から歩いてもそう遠くないはずだったが、なかなかそこに到達するのに骨が折れた。高台から見下ろすことはできないかと、山を切り開いたらしい住宅地の坂道が、でたらめな迷路のように入り組んでいて、うろうろしているうちに変な名のホテルの前に出てしまった。どうでもいいけど、この手のホテルってどうしてこんなケバイ色で、どうしてクレムリンみたいな塔がくっついているのだろう。
 ちょうど、部活(だって日曜日だもの)の女子中学生が3人通りかかったので、「すみません。フマキラーってどう行けばいいんですか?」と聞いてみたが、どうもそれがあることは知っているが、適切なガイドができないらしい。別にフマキラーに用があるわけでもなく、岬の名を聞くよりそのほうがわかりやすかろうと気を利かせたまでだ。
 地図で場所を示すと、それなら公園に行けばよいと教えてくれた。やっぱり最初からそうすればよかったのに、沖塩屋から丘を越えて梅原へ出られないかと、妙な気を起こしたおかげで、炎天下をだいぶロスしてしまった。
 だがまあ、それもよい。岬めぐりで修行を積んだおかげで、タッチの差で電車に乗り遅れても、イライラしないようになった。これくらいのロスは想定内で、それもまた修行のうちである。
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 この岬の北側は、すでに埋立てが裾まで迫っていて、入江の西側にもかつては岬があったと想像される。それが、沖塩谷の浜は四角く海に延びる埋立て地で、すべて完全に浜と海は消えている。つまりかろうじて、蛭ヶ崎鼻だけが、それもこの角度から見るところだけが岬らしく残った格好で、それはこの小さな入江を潰すわけにいかなかったからであろう。
 その南の埋立地は、運動公園らしい。この暑さ、日曜日なのに人影はまばらだった。それにしても、日本中どこへ行っても、広い運動公園があるのには、感心する。
 また、みんな運動と“運動会”が好きだねえ。世界的な運動会に盛り上がるのもいいが、マスコミの騒ぎ方は相変わらずで、ちょっと尋常ではない。もともと個人参加の個人の運動会のはずが、国家がこう前面に出てくることで、すでにその精神を逸脱している。へそまがりは眉をひそめつつ、早くこの馬鹿騒ぎが終わってくれることを願うしかない。
 煙突だけわずかに見える、なにしろ創業の地が広島というから梅原のフマキラーの工場も古いらしい。瀬戸内海の島で栽培される除虫菊を原料としたことで、3つくらいの殺虫剤をつくる会社が生まれたが、薬種店から始まったというこのフマキラーも“日本の夏”の演出に参加している。
 運動神経はゼロに近く、運動はもっぱら見るだけというでんでんむしには、大下(おおしも)回春堂(…といっても精力剤の会社ではない)という旧社名の頃からよく知っていてなじみ深い。というのも、この会社も、草創期の広島カープを支えてきた地元企業のひとつで、ラジオ中国で実況中継を聞くときも、必ずこの会社の提供でコマーシャルが入っていた。
 夏、冷房はおろか、扇風機だって気の利いたとこにしかない時代。泳ぎに行かない日は、青々と木陰をつくる柿の木の下にゴザを敷き、そこに寝そべってコードを目一杯伸ばしたラジオのつまみをラジオ中国に合わせて、カープの実況中継を聞きながらスコアブックをつけるのも、夏の楽しみだった。もっとも、負け試合は最後までスコアをつける気にはならない。スコアブックは最後まで書き込まれたページは少なかったのだが。
 そして、時おりやって来るハエやカは、当然フマキラー(「フ」はフライのフ、「マ」はマスキートのマ、そいつを「キラー」というわけですな。これはカブンにして最近になって知った)で撃退する。この頃の殺虫剤はタンクに手押し噴霧ポンプがついたヤツだったが、もっと前にはビンに噴霧用のパイプをさして、口で吹くのもあったなあ。
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 国道2号線を渡って大野浦の駅に向かうと、ここは北の外れに一箇所しか出入り口がなく、ぐるっと大回りをしなければならない。文句も言わず大回りしてやってきたその駅前には、大きな石碑が立っていた。
 当地で読まれたという古い歌を持ち出して、大野浦という地名の由来を示したものらしい。いやそうではなくて、「大野浦の駅名はこの歌からとったものです」と最後に彫ってある。駅名だけなのか? しかし、この歌がどんな歌かというと、こんな歌である。
 「おおのうらをこれかととえばやまなしの
    かたえのもみじ色に出でつつ」  (今川貞世)
 古文の読解力にも自信はないが、これだと歌が読まれる前に大野浦の名はすでに知られていたという意味になるのではなかろうか? もしそうだとすれば、“駅の名をこれからとった”というのは、いささか牽強付会というより、これも順序がおかしい?
 だが、文句を言うばかりが芸ではない。ここはひとつ、この石碑を立てた人の身になって考えてみよう。今の地名には“大野”はあっても“大野浦”はどこにもない。もっとも、住居表示というめちゃくちゃな文化の破壊をやってきた国なので、前にはあったかも知れぬ。いずれにしても、その名が地名として残ることはなかったわけで、古い文献を探して根拠を求めようにも、それは適当なのがなかったのだろう。
 単なる“大野”ではなくて、安芸の海岸を彷彿させるにふさわしい駅名をつけるには、どうしても“大野浦”にしたかったのだろう。
 この歌がみつかったときには、「これだ! これだ! これにしよう」とみな大喜びしたのかも…。
 しかし、そうした先人の苦労(?)を省みず、大野の一帯は埋立てが進み、浦は駅からだいぶ遥かになってしまった。
 蛭ヶ崎鼻は、「ほほう、大野浦というのはここですかな」と九州探題に赴任する役人の足を止めさせた、美しい海岸美が続く景勝の、名残りのひとつだったのだ。

▼国土地理院 「地理院地図」
34度16分50.82秒 132度16分29.17秒
hirugasakiM.gif
dendenmushi.gif中国地方(2008/07/13 訪問)

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タグ:広島県
きた!みた!印(4)  コメント(2)  トラックバック(1) 
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きた!みた!印 4

コメント 2

NO NAME

鼻白むというか興醒めというか、このところテレビを見るたびにムシャクシャした気分になります。
成績はともかく、親がかりの選手が世襲議員と重なって不愉快。会場や地元で熱狂する親族や子ども達のようすも浪花節的でヤらしい。チャンネルを総動員してあおり立てるNHKやディレクターの作為と安易な演出がひっかかる。
まやかしだらけの今回の開催。いつもながら不要な種目と、それに参加する選手役員が多すぎる。(これを国威に結びつけるなどは発展途上国の発想)(あの娘っこたちは、何か勘違いしてるんじゃないか)とさえ思う。
それにしても、オリンピックはいつから子ども達のスポーツ祭典になったんだ──と、すねて見るうちに気がついた。それだけこちらがトシとったのだと。
こういう斜視的な偏屈意見は反発とひんしゅくを買うばかりなので、前向きな妙案をひとつ。あのフェルプスに永住権を与えて日本に帰化させるのはどう?
フマキラー、手元にありました。ちゃんと廿日市と書いてあるから純正ですね。
by NO NAME (2008-08-18 09:20) 

dendenmushi

@今では選手をひとりオリンピックに出すのに、どのくらいのお金がかかっているのでしょうね。そして、それはどこから出ているのでしょうね。
 そういうことを、マスコミはもっと突っ込んで問題提起すべきだと思うのですが。政治との関わり方も含めて、不透明さがどんどん増していくことにも、もっと目を向けるべきでしょうにね。
 フマキラーありましたか。ちゃんと「廿日市市梅原」って書いてあるのが、なんかうれしい。これって、ヘンなのかな?
 いや、そういうのでは、広島はいろいろあるのですよ。あのバレーボールのボールも広島のミカサという会社でつくられています。こっちのほうは、岬めぐりと関係ないので入れませんでしたが。
by dendenmushi (2008-08-19 08:04) 

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