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112 番神岬=柏崎市番神二丁目(新潟県)神も仏もかなわない [岬めぐり]

 柏崎の駅から西の港の隣に、ちょうど海からそそり立つようにして番神岬はある。柏崎港と埋め立てで広がった街を消し、昔の岬の姿を想像してみれば、海に突き出した小高い丘を構えた堂々たる岬であったろう。けれども、今ではここはむしろ岬としてよりも、日蓮ゆかりの番神堂があるところとしてのほうが、名高いのかもしれない。
 佐渡に配流されていた日蓮が、許されて寺泊を目指して戻る途中、船が嵐で難破して、流れ着いたのがこの岬なのだ。言い伝えでは、岬の先にいくつか広がる岩礁のうち、いちばん右手の岩場が、日蓮が辿り着いた場所なのだという。

 そして、無事を感謝した日蓮が、八幡大菩薩など29の神々の霊を招いてここに合祀したのだそうだ。一か月30日として、毎日一神を日替わりで祀って三十神が祀られている。これがなにしろたいへんなもので、一番神の熱田大明神から三十番神の吉備大明神まで、気比・鹿島・伊勢・八幡・松尾・春日・稲荷・住吉・祇園…と、オールスター・キャストで神様が日々当番をする。なんとも、豪儀なものである。
 あれっ? “29の神々”を祀って、なんで“三十番神”なのだろう? そのときは気がつかなかったが、あとで考えてみると謎である。

 三十番神の小さな石碑は、部屋の窓が並ぶ大きな旅館の陰に、ひっそりというかなにやら申し訳のような囲いにかろうじて守られていたが、青い竿竹が妙に悲しく映る。上に迫る窓から浴衣姿の泊まり客に、見下ろされながら、この写真を撮る。
 問題の合祀も、日蓮さんくらいがやれば、神も人も文句の言いようがないのだろう。もともとからここにあった真言宗の寺も、日蓮宗に改組して、その偉蹟を守った。

 現在の御堂は、明治期の初めに火事で焼けた後に再建されたものだが、これがすごい。
 なにしろ、御堂の横側と裏側ぐるりが、見事な木の彫刻が施されている。建築から石工、鋳造そして木工と、いずれも近在の職人たちを総動員してつくられた。これを保護するために、ぐるりとガラスの覆いがかけられている。

 境内は広いとは言えず、肝心の岬側の眺めは、あたりの空気を乱すように建っている旅館の高い建物に遮られているし、御堂のすぐそばからは民家が密集している。桜の枝の間に港が見下ろされ、遠くこれから行く予定の椎谷の岬も望むことができる。その間を抜けてしばらく行くと、諏訪神社がある。諏訪神社というのは、全国どこにでもある。“おすわさま”というのは、そういう土着の広がりをもった神なのだろう。

 その諏訪神社の境内にも、「佐渡情話」のお光と吾作の碑があり、ここを「人恋い岬」ともいうのだという。なるほど、鴎ヶ鼻の「恋人岬」は、種を明かせばこれのアレンジだった、というわけなのだ。実際は、この話にはいくつかの伝承があるらしく、大元とされる柏崎のほうでは、主人公の名前からして異なる。
 巨木が生い茂るこの高台からの眺めもすばらしいはずなのだが、岬の肝心な場所の狭い敷地ぎりぎりいっぱいに無遠慮に建っている建物のおかげで、番神岬の景色は台無しになってしまっている。
 “経済活動”という名のお墨付きを与えられた、人間の私有の欲と金を求める欲の前には、もはや神も仏もかなわないものか。

▼国土地理院 「地理院地図」
37度21分57.28秒 138度31分41.44秒
112ばんしんみさき-12.jpg
dendenmushi.gif北越地方(2007/40/21 訪問)

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