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番外:天険親不知=糸魚川市大字外波(新潟県)カモシカに出合う国道そばの秘境 [岬めぐり]

 広島に住んでいたまだ10代の頃、北アルプスを縦走したことがあって、なんとなくその帰りに大糸線からここを通ってきたようなつもりでいた。東尋坊がでんでんむしの岬めぐりの原点かもしれないという、そこへつながる何十年も前の旅の記憶である。ところが、これを書くつもりで今一度その記憶を整理しようとしてなぞってみると、あのときは表銀座縦走のあと、もうひとつおまけに二日分の行程を一日で歩き通して唐松岳を越えて黒部の祖母谷へ降り(こう書いてしまうと簡単そうだけど、これがとんでもない難コースだったが)、翌日は欅平に出てそこからまだ観光電車になる前の関西電力の黒部軌道に乗って宇奈月・富山経由で芦原へ向かったのだ。つまり、親不知は通っていなかったことになる。
 となると、いったい最初に親不知を通ったのは、いつのことだったのだろうか。記憶というものはきわめていい加減なものである。さっぱり思い出せないのは、それが仕事絡みの旅だったからなのだろう。そのくせ、“ここが親不知なのかあ”と思ったものの、トンネルばかりであるという以外には、なんの印象も残していない、という記憶だけは確かにあるのだ。
 今回、岬めぐりにかこつけて、親不知に降りてみたいと考えたのは、そういうでたらめな記憶にケリをつけ、車や電車で通り過ぎるだけでなくそこにしばらく留まってみたい、という気持ちもあったからだ。幾多の物語や逸話で、その名前だけは知っていても、実際に行ったことがないという場所のひとつだったが、だいたいにおいて西日本・東海地方を主な“生涯動線”として生きてきたでんでんむしとしては、ここらはほとんど“秘境”に近い。

 国立公園の規制を受ける前にできたという親不知観光ホテルが、この周辺ではただひとつの宿泊施設である。いわゆる“一軒宿”なので、選択の余地はない。そこに一晩お世話になって、“天下の険”は箱根だけじゃないということを、ちょっとだけ実感してきた。
 宿の前から、小さな谷にそって海岸に降りることのできる道がある。さっそく降りてみたが、両側を岩場に挟まれて、大きな白い石ころだらけの狭い空間がある。なるほど、こういうところを磯伝いに歩くのは、たいていではない。ヒスイが採れる場所としても有名なここらは、広く石灰岩が地層をなしているらしい。それが、北アルプスの連山から北へ延びる尾根が日本海へ落ち込む、この雄大な景観をつくりだしたのだろう。
 夕日を眺める展望台にウエストンの銅像があるのも、ここから朝日岳・白馬岳・唐松岳・五龍岳・鹿島槍ケ岳…と通じる栂梅新道の登山口が始まっているのも、一見意外なようだが、改めて地図を見てみればなるほど納得がいく。

 宿の食堂に親不知の昔の写真などがいくつも掲示してあったが、そのなかに「天下の険・昭和42年」と記された一枚のパネルがあった。これもまさしく、でんでんむしの憶測(といっても、誰もが考える程度のことだが)を裏付ける有力な傍証である。
 昭和42年といえば、そんなに大昔というわけでもない。この頃にはまだ、芭蕉も歩いたであろう親不知の様子が忍ばれる景色が残っていた、ということになるのだろうか。
 海岸に降りる道の途中に、赤いレンガのトンネルが残っている。遠くにポッカリと丸い光の差している出口が見える。谷の反対側のトンネル入り口は、土砂崩れで半分埋まったままだ。これは、かつての北陸本線の跡だ。この使われなくなったトンネルを勘定に入れると、国道8号線、北陸自動車道を含めて、四本ものトンネルがこの天険を貫いていることになる。
 トンネルを行けば、昔の旅人が波浪にさらわれるのを避けて途中の洞穴に逃げ込み、そのまま何日も出られなかった、というような難所の話は、想像の外である。そんな難所の様子は、道が全部高い崖の中腹を通っている現在では、見ることができない。そこで、ウエストンの銅像がある展望台には、ご丁寧にも親不知海岸の模型がつくっておいてある。ちょっと見にはおかしいが、これで初めて天険の全貌がわかる。

 国道8号線の天険トンネルの東口に位置するホテルの前には、大きな桜の木が数本ある。宿の主人が、「鳥たちに花を食べられてしまい、間引きしたようにしか咲いていないんです」という。それは例年のことであり、めったに満開の状態にはならないのだという。その下には、芭蕉と曽良をイメージしたらしい二体の旅人の人形があって、そこから木の間隠れに日本海を眺めながら歩ける道がある。この道が昔の国道だったもので、天険トンネルが開通するまではこれがメインの国道だった。トンネルに沿って1キロ弱、車通行不可で残されているので、少しだけ昔の親不知の道の雰囲気がわかる、というわけである。

 部屋の窓いっぱいに日本海が見える。夜は漆黒の闇に、漁火のひとつがまたたき、竹ヶ鼻のかなたには、鳥ヶ首岬(106参照)の灯台の灯が点滅している。海に沿う国道では、一晩中車体にたくさんの電球をきらきら光らせたトラックが、絶え間なく通っていた。

 早朝、苔むして枯れ葉や枯れ枝が積もる旧国道の道を歩いていると、なんと前方にカモシカの姿を発見!
 早く気がついてよかった。気づかずに近づいていれば、すぐ逃げられてしまうところだった。驚かさないように、そっと近づいてシャッターを押したが、ガードレールの向こうにいるので、写真としてはうまくない。場所を移ってもらうよう頼むこともできないが、むしろガードレールがあるようなところでカモシカが撮れるというほうが、写真の希少価値が増すだろうか。



 と、もう一頭が右側にいた。一頭のほうには角があるので、カップルで朝の食事中だったのだろうか。
 親不知の駅まで車で送ってくれる主人に、その話をすると「そうでしたか。それは運が良かった。二頭で現れるのは珍しいですよ」という。それにしても、車が盛んに通る国道にほど近いこんな場所で、天然記念物のニホンカモシカ(昔は8円通常切手の図柄になっていた)に出合えるなんて、ここはやっぱり“秘境”だった。

▼国土地理院 「地理院地図」
36度59分34.46秒 137度41分43.15秒
109番外おやしらず-9.jpg
dendenmushi.gif北越地方(20007/4/19〜20 訪問)

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タグ:新潟県
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コメント 4

knaito57

学生時代、深夜食をともにしたアルバイト仲間に東尋坊の菓子舗の息子がいて、地名や海沿いの絶壁のことを知りました。ほんに日本海側というのは「山からすぐ海」なんですねえ。近ツリバスとはいえ、私は津軽半島まで行き黒部のトロッコ電車にも乗った男ですが、日本海側はとんと縁がなくどこも“秘境”のようなものです。新潟とちがって、あそこまで行くと凸凹に富み、名のある岬も多いでしょうね。
by knaito57 (2007-04-30 15:34) 

とも〜る

すごいです!!
いや〜、お恥ずかしながら、今までに写真もナマもひっくるめて、カモシカを今ここで初めて見ました☆
この写真はかなり貴重じゃないですかぁ〜?!
他にも色々と書こうと思ってましたが、カモシカの写真が衝撃的すぎて忘れてしまいました(笑)
by とも〜る (2007-05-02 05:05) 

dendenmushi

@knaito57さん、とも〜るさん、コメントありがとうさんです。
 東尋坊のことはついこの前にも誰かに言われましたよ。誰だったかなあ。あれはやっぱり見るものになんらかの印象を残すものらしい。
 ね、いいでしょ。カモシカ! わたしも、ウマとかシカとかは結構見ていますけど、カモシカは初体験でした。
 ところで、とも〜るさん。今日の聖ヶ鼻の灯台、これはどうですか。ここの灯も夜、鴎ヶ鼻のホテルの部屋からよく見えましたよ。
by dendenmushi (2007-05-02 08:07) 

とも〜る

雷を呼ぶ灯台とは、また興味が引かれますね^^

灯台七不思議の一つで、
白黒灯台と赤白灯台は、何故か富山以北の北陸と、東北、北海道に限られるのですよ〜。
真っ白だと雪と同化するからか?とも思ってたのですが、
灯台は日中に存在を示す必要はないので、その線は無さそうです。
北海道にいたっては、ほとんどが赤白なのです。
よって白黒の縞模様は、一番希少価値が高いということです(笑)

石川以南と、太平洋側の福島以南は、ほぼ全て真っ白です。
その昔、福岡の沖の巌流島に、西日本で唯一赤白の灯台が建っていたのですが、今は撤去されたので皆無です。
例外として、伊豆沖の神子元島灯台と、豊後水道の水ノ子島灯台、福岡沖の白州灯台の3基のみ、西日本で黒白です。

以上、灯台マニア情報でした(笑)
by とも〜る (2007-05-03 03:04) 

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