063 大崎=逗子市小坪四丁目(神奈川県)これは2006年最後の夕日 [岬めぐり]
波静かな湾の葉山寄りに、2006年最後の夕日が沈んでいく。鎌倉よりには、影になった富士山と江ノ島が浮かび上がり、ひとつの岬が海と地を分けている。これが、ナショナルトラストのおかげで、なんとかここだけはぎりぎりセーフでわずかな緑地を残すことができた大崎である。逗子の海岸を象徴するものは、ほんとうは不如帰の碑でも太陽の季節の碑でもなく、この湾をかたちづくっている大崎や披露山一帯そのものなのだ。
この町に住もうと初めてやってきたのは、今年でもう38年も前のことになる。一番に海岸にでかけたことはいうまでもない。芥川賞を取った作品が書かれた原稿用紙を売った文房具屋とかもある短くていささかちんけな商店街を抜け海岸に向かう道はお屋敷町で大きな古い門構えの家が並んでおり、東郷さんが住んでいたといういわれを残す名をもつ小さな橋を渡ると、間もなく海岸の中央に出る。
住民登録に行った市役所は昔の町役場そのままで、そこで聞いた“海岸には昔はずーっと松林があったんですよ”という話が、すでに過去形となって久しいことを我が事のように惜しんだ。その海岸には国鉄と京急の海の家があり、なぎさホテルや養神亭もあったが、今やそのどれもない。マンションの建ち並ぶなか、どこかの屋敷の名残の松を残した駐車場の空間が貴重にさえ思える。
徳富蘆花の『自然と人生』を読んで、憧れていたこともあるが、相模灘の落日はいろいろな人が書いている。もちろん夕日はどこから見ても同じ夕日で、ここから見る夕日だけが格別素晴らしいわけではあるまい。
ただ、鎌倉・逗子・葉山の辺りには、多くの物書きなどもいて、それを書き残していたというだけのことである。
頼朝が献上品か何かを展示し披露した場所というのでその名がついたという山の下には邸宅地が広がっていて、幾多の有名人やお金持ちの家、いや邸宅が展開している。市民になって何年かして、市が主催するオリエンテーリングに参加したときには、このなかがコースポイントになっていたが、その頃はまだ家はほとんどなく、一面芝生の起伏で覆われていた。駅にはまだ“TBS披露山邸宅地”売り出しの看板があったものだ。
一時期は火サスのロケ地にもよく使われたここも、とうに邸宅がぎっしりと建ち並んでしまっている。こうなると多少家がでかいだけで、邸宅地の貫録やありがたみも薄れて、さほどありがたがるほどのことでもないと思うのは、やはり単なる僻みというものである。
それを抜けて大崎公園に登ると、今度はやはり頼朝の愛人がいたと伝えられる小坪(小壺)という小さな漁港と、その向こうに、ノーベル賞作家が自殺したときにはやたらその写真が出まくった、埋め立てでできたリゾートマンション群とその先に鎌倉の海も望むことができる。こういうとこにやたらヤシやバナナを植えたがるのはまだどうでもいいけど、ユーミンがコンサートをやるマリーナもあるここに、“リビエラ”という冠をつける神経とは、いったいどういうものだろう。これもまた僻みだが、ここいらでは僻みには鈍感にならないと、心安らかに暮らせない。
大崎公園からは逗子湾や邸宅地は木々の影になるが、葉山の海や名島や富士山もよく見える。ここはあまり知られていないスポットなのだ。ここから小坪への道は、いったん邸宅地のなかを抜けて、急な斜面を降りることになるが、天照大神社の石段を降りるのがいい。降りたところの魚屋には、年末の買い物に来た人が行列をつくっていた。
でんでんむしの岬めぐり、来年2007年はまたここからスタートする。
35度17分32.06秒 139度33分30.41秒


いつも見慣れた風景ですが、やっぱり富士と江ノ島の相模灘の風景は何とも言えない厳かさがあります。
お陰様で充実したブログ生活を満喫しております。
今年もよろしくお願い申し上げます。
by 右左あんつぁん (2007-01-02 10:44)
@確かに。見慣れた風景をじっくり味わうのもいいものですね。でんでんむしも逗子海岸はこのとき数か月ぶりだったのですが、なにかホッととするものがありました。
最後の夕日を見るために、結構たくさんの人が集まってきていましたよ。
by dendenmushi (2007-01-03 10:34)