050 日御碕=出雲市大社町日御碕(島根県)ただひとり立っている出雲日御碕灯台は写真も一枚だけしか… [岬めぐり]
デジタルデータの写真整理には、便利だけれど落とし穴もある。機種を代えたとか管理ソフトを代えたとかアップグレードしたとかコピーをして移したとか、そういうときにもよほど慎重にしないといけない。この過去の岬めぐりデータをHDやバックアップCDから拾い出す作業も、ぼつぼつ大詰めを迎えているが、どうしても探せない行方不明のものがいくつかある。
原因がはっきりしているものも、はっきりしないものもあるが、この日御碕などはなぜかやっとこの一枚だけが見つかった。この場合の原因は、移すときファイル名が同じものがあったのに、置き換えてしまったためだろう。
出雲からバスで海岸沿いの道を行き、日御碕神社のところが終点になる。そこからまた海沿いにある遊歩道を歩き、ウミネコがいっぱい繁殖している経島という大きな岩を見ながらなおも行くと、出雲日御碕灯台がやっと姿を現わす。この灯台はなかなか背が高い。辺りの松の高木と競うように伸びていた。といっても、これはこの写真のイメージであって、松はそんなに高くはなく灯台だけが、すっくとひとり立っている。まあ、灯台はどれもそうでないと役目を果たせないが。
出雲というのは、不思議なところだと以前から思っていた。それは、幼い頃に絵本で見た大国主命や猿田彦やヤマトタケルの話など、日本神話のエピソードが明確にこびりついていたためだろう。なぜそれが出雲なのか。それが不思議に思い始めたのがいつ頃からといえば、中学生くらいからだろうか。当時は広島にいて、一日に一往復か、広島から出雲・松江行きのバスが走っていた。中国山地を越えていく、当時としてもかなりの長距離路線であったそのバスは、赤い線の入った一畑バスだった。それに遭遇することがあると、神話の国に思いだけでも乗せていってくれるような気がした。広島から出雲へは、直線距離で100キロと少しくらいしかないが、当時はかなり遠いように思えた。
事実、広島にいるときには県境にある山に登って境界線をまたいだくらいで、それからもずっとついに山陰には一度も行くことがなく、このときが初めてだった。縁結びの神様にも、ご挨拶がすっかり遅れてしまった。
近年の研究では、出雲大社の変遷もかなりのことがわかってきたようである。とくに注目されるのが、まるでカタパルトのような巨大な神殿への回廊があったということだ。それを支えた実物大の円柱が、拝殿の前にわざわざ設けてあるというのがおもしろかった。
▼国土地理院 「地理院地図」
35度26分1.25秒 132度37分46.11秒中国地方(2004/04 訪問)
コメント 0