035 南竜崎=平戸市岩の上町(長崎県)ずっと鎖国政策の矛盾をみてきたであろう岬は平戸大橋の北に [岬めぐり]
平戸という地名も、たいていの人が学校の歴史の教科書に出てくるので初めて遭遇するところであろう。この頃は、日本史も未履修でろくに勉強もしていないらしいので、そういう断片的な知識すらもない日本人も増えているのだろうか。
ここも別に岬がメインというわけではなかった。たまたま、通ったところが岬だったというほうが正解だが、南竜崎というその名前からして、いかにも長崎らしいというのも思い込みに過ぎないのであろう。
その岬の横に赤い平戸大橋が架かって、九州本島と平戸島がつながったのは、最近のことではない。でんでんむしが平戸を訪れたのも7年前だが、そのさらに20年も前に、この平戸大橋は開通している。できたときには、これが“日本一の吊橋”だったのだから、世の中日本一もどんどん変わる。つい先ごろ、やはり九州のどこやらに日本一の大吊橋ができて、中高年がわんさと押しかけているというが、あれもなんだかねえ…。
鉄道の最西端駅である「たびら平戸口駅」のあるところでもあるが、なによりもオランダ商館などその歴史のうえである一時期に光彩を放った土地であるということが、平戸のすべてを現在に至るも固定しているような印象があった。
古い教会とお寺とお城が同居している小さな湾を抱えた町が、なぜそうだったのだろう。オランダ貿易の拠点というにしては、長崎の出島からも遠く離れ過ぎている。天然の良港というには、こんなところまでくるまでもなく、ほかにも適した入江はたくさんあるはずだ。陸路との連携という点からも、当時から大橋があったわけではないから、わざと不便な場所を選んだとしか思えない。
どちらかというと、必要最小限の貿易はしたいが、それをできるだけ普通の日本人の目に触れないところでやりたいという、鎖国政策の矛盾の結果が、平戸の歴史をつくってきた、といえるのではないか。
これは、唐津から伊万里を経て、遠く平戸大橋を望み、平戸瀬戸に面した宿に泊まって、翌日は九十九島を経由して有田に向かう焼物の旅の途中でであった、どうにか岬めぐりにカウントできる唯一の貴重な岬だった。
▼国土地理院 「地理院地図」
33度21分31.73秒 129度34分12.10秒
九州地方(1999/09/24 訪問)
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